買うに値する文章とは


このご時勢である。
カネなんかない。
お金を払って得るものに対しては自然と厳しい態度になる。
それでも好きなものがある。読みたい本もある。そういうものに出会うと後先考えずに財布を開ける。
そうした私の「うっかり」が悪いのだろう。中身も確かめずに買ったのが悪いのだ。立ち読みもせず。
でも、そうなのだろうか?私ばかりが悪いのか?
なんムカつく。これはなんとしたことだろうか?


ここんとこ高田渡に惚れこんでいて、関連記事があれば中身も見ずに雑誌を買ったりするんだけど・・・なんと、違う雑誌で同じ人間が(ほぼ)同じ文章を寄稿をしているという妙な事態に出くわしました。
いったいどうゆうわけ?
週刊金曜日」と「東京人」の森達也の文章のことですよ。



週刊金曜日」9/5号の特集「高田渡を語る」と、「東京人」10月号「飄々としながら毒を吐く。」の文章。
文章の表面はパッと見、違っているけれど、言ってることも元ネタも同じ。同じ文章と言わざるを得ません。
ちなみにこの2誌はここ1ヶ月の間に出たものです。時期は同じ。
同じ時期に違う雑誌で(ほぼ)同じ文章を書き、それぞれから原稿料をもらってるってことですよ。
で、読者は安くはないカネを払ってそれぞれの雑誌を買い、(ほぼ)同じ文章を2度読まされるわけ。
なにこれ。
詐欺じゃんよ。
なんといういい加減さ!文章がかぶるならどっちか断れや。迷惑だな。


このネットの時代、おもしろい文章を無料で読ませてくれる人は無数にいる。
売文業に従事しているということは、圧倒的なエスタブリッシュメントだということではないし、そう思われていた時代も終わろうとしています。そんな中、自分の書いた文章を「売る」ということがどれだけのことなのか、売文家にはわかって欲しいものですよ。
それは売るに値するものであるのか、文を売る者としての覚悟を持って書いているのか、と自問してほしいと思います。


ま、今回の「東京人」はもともと鈴木邦男さんの山口二矢に関する文章があったので「買おう」と思っていたのです。
それに、今回の特集はものすごく面白かった。アウトロー列伝。錚々たる人たちが揃ってて、読んでて楽しかった。
大杉栄辻潤に関しての項は特に出色。買ってよかった。
渡さんに関しては、そもそも「アウトロー」では全くないと思うんだよね。だってアウトローって「無法者」だろ?直訳すれば。
それはいくらなんでもちょっと違うんじゃないかなぁ。
アーティストとしての特異性は別として、アル中だってこと以外には特に奇天烈な人だってわけでもないだろうし・・・。渡さんの場合は天然なだけじゃないかと思うんだけど違うのかな。どこか法外なところがあったのだろうか?
そこんとこからしてよくわからない。
またこんな「言葉」だけが、渡さんの上側をすり抜けていってるような気がする。