レオナール・フジタの展覧会


宇都宮美術館に「レオナール・フジタ展」を観に行ってきました。


「第二次大戦後、日本からふたたびパリへと戻りフランスに帰化カトリックへ改宗してレオナール・フジタとなった晩年。本展覧会では、藤田のフランスにおける画業にスポットを当てます。」
と、企画展の案内が銘打っているとおり、ここでは「藤田嗣治」ではなく、「レオナール・フジタ」として生きた時代のフジタをとりあげていました。
今までにない切り口の全く「新しい」フジタ展。


フジタはいろいろ観てきているけれど、こういったアプローチで展示してある企画は初めてだったし、初めて目にする作品もたくさんありました(日本初公開作品も多数)。今まで私が認識していたフジタとは別のイメージを感じさせる作品が多く、とても新鮮でした。
「1992年、パリ郊外の倉庫で発見されるまで、長らく行方がわからず「幻の作品」とされていた縦横3mにもおよぶ裸体群像4点」は一番の見どころです。
「ライオンのいる構図」「犬のいる構図」「争闘1」「争闘2」。
いずれも1928年の作品です。
これはもう、言葉を失いますよ。


圧倒的な肉体。肉体。肉体。
動き回る肉体。ぶつかり合う肉体。反り返り、屈み込み、絡み合い、寄り添う、肉体。肉体の山!
これが3メートル四方の巨大なカンバスに思いっきり描かれている。
あまりの過剰な肉体描写に、次第にそれが「器」に見えてくる。
神の創った「器」。
器の中になにが入っている?っていうことを考えられなくさせるほどの、圧倒的な「器」。


「ランスの「平和の聖母礼拝堂」内部のフレスコ画、ステンドグラスの下絵」なども初公開ですが、こちらは「肉体」から一転して、宗教的な世界に没頭してゆくフジタがいます。
キリスト教的イコンへの傾倒ぶりは、斬新性から抜けて旧来の西洋絵画の根本に入り込もうとするかのようです。東洋人であるフジタが、西洋の「カタチ」と「心」を自分のものとして掴む過程を目の当たりにする思いがする、習作の数々に感嘆します。
膨大な宗教画を描き続け、教会建築にまで至る晩年のフジタの心に去来したものはなんだったのでしょう。


最晩年を過ごしたフランス・エソンヌ県の田舎にある「ラ・メゾン=アトリエ・フジタ」の様子が伺える展示もありました。
このコーナーはとても心安らぎます。可愛らしい生活用品や装飾品などが、フジタのまた別の顔を見せてくれます。
子供を持たないフジタの数々の子供の絵(「私の子供」とフジタが言っていたのが印象的でした)も、不思議な温かさをもっています。
生活者として、あらゆる細部に愛らしいものを見出していることなどを感じさせられ、楽しいです。


この美術館は毎度とても素晴らしい企画展を呼んでくれるんですよ。
今回も凄かった!大満足です。
地元民として大いに誇らしいです(^-^)。
今後の巡回は、上野の森美術館(11月15日〜)→福岡市美術館(09年2月22日〜)→せんだいメディアテーク(09年4月26日〜)の予定だそうです。

あ!そういえば。昨日のエントリで戦争画を楽しみに観に行く云々と書きましたが、今回の展覧会には戦争画は一切ありませんでした。
企画の趣旨と合わないからでしょう。
またどこかで観られることを楽しみにしたいと思います。