「愛国の昭和〜戦争と死の七十年」

愛国の昭和―戦争と死の七十年

愛国の昭和―戦争と死の七十年


鈴木邦男先生の新刊。渾身の一冊です。
題名からはパッと見、右翼的な内容かと思っちゃうかもしれませんが、全然違います。
右翼的な思想背景を痛烈に批判しています。ある意味、鈴木先生自身の自己否定にもつながりかねないのですが、そんなことをものともせず、真理へと向かってゆくのが先生の凄いところです。君子豹変す、のその言葉通りです。
もうね、これぞ私の愛する鈴木先生だ!ってな思いを抱きつつ、驚きつつ読みました。
「日本で一番リベラルな男」(たぶん本当にそうです)の、優しさと叡智に溢れる主張に心が震えます。
かつてまだ一水会の代表やってた頃から、この人はどこか違う、決定的にみんなと違う、というのをなんとなーく感じていました(TVで観てただけですけどね)。
稀有な柔らかさと頭の良さを持っていて、それが当時の政治やイデオロギーを語る右翼左翼の多くの論客の中にいても、何か違って見えたのです。「この人は、信じていい人かもしれない」と。(って、それが見えてた自分も我ながらスゴイ。いや、すごくはないんだけどw)
それが証明されたような気分です。


「玉砕」という言葉がどれだけこの国の運命を狂わせたか、というところを切り口にして、特攻隊とは?愛国とは?天皇とは?と考えてゆく構成になっています。
鈴木先生ならではの洞察力でもって、これらを思索し、その過程も含めて疑問を投げかけてくれます。
ご自身も書きながら深く悩み、躊躇いながら、それでも今までにない真摯さでもって、まさに渾身の思いで言葉を発しています。
「愛国」という胡散臭い言葉の向こう側にある、いろんなものが見えてくるような思いがします。


中に、藤田嗣治はなぜ戦争協力画家と呼ばれたのか。という考察もあるのですが(秀逸な分析でした)、偶然にも私は明日、地元の美術館に藤田嗣治展を観に行く予定なのです。グッドタイミング!
たぶん戦争画も数点来ていると思うので、実物をじっくり見てきたいと思います。
私は美大受験生だった高校生の頃から一番好きだった画家がフジタで、フジタの絵1枚を見るためだけに学校帰りに高崎から東京まで足を伸ばせるくらいムチュウだったのですが、不思議と今までフジタの戦争画をきちんと観たことがないんです。
いや、観たことはあるけれどどこか気持ちの中で「これはフジタが描きたくて描いたものではない。無理やり描かされたものであり、本来のフジタとはかけ離れているものであるはずなのに、彼はこの絵のおかげで戦犯呼ばわりされ日本を捨てるに至った。ゆえに許しがたい。=暗黒歴史=観る価値ナシ」という意識がありました。熱心に観てはいけないような、邪道であるかのような感覚をずっと持っていたんです。
鈴木先生の解説を読んだ今観たら、これまでの印象とは全く違った作品として対峙することができそうです。ワクワクします。


実はこの本、自治体の図書館に頼んで買ってもらいました(爆)。
新刊が出たのを知って、はじめて「購入リクエスト」ってのをしてみたのです。
鈴木先生のファンだといいながら自分で買わずにこんな行為(汗)。
「矛盾してるよねアタシ」と旦那に打ち明けたら、旦那が「そんなことないよ。よーちゃん(私ね)が買っても1冊売れるだけ、図書館が買っても1冊売れるだけ。売れた冊数は同じだけれど、図書館にあれば多くの人が手に取るし、その方がよほど鈴木さんとしては嬉しいんじゃない?」と慰め(?)を言ってくれたので、それもそうかなと思うことにしました。
高い税金払ってるんだし、税の有効活用だ、とも。
でも、読んだ後には意識が変わりました。やっぱり買おうかな、と。だって鈴木先生の遺書らしいし。買おう「かな」ってのが消極的ですが…。
って、私のような不埒な読者のせいで、先生はいつになっても「みやま荘」から出られないのかしらん(哀)。申し訳ないことです。
思いっきり宣伝しますので許してください。


とりあえず、図書館で借りてでも読んでみてください。面白いですよ。
今、日本には鈴木先生のような論客が一番必要だと思います。人間愛です。人は力では動かせないのです。心がなければ。と、今日の「篤姫」で勝海舟が言ってましたが、そんな心意気を感じます。右でも左でもなく宗教家みたくなってきちゃったなぁ、という気もしないではないですが。なぜなら、読んでてかなり心和みますので。
オフィシャルサイトを読むだけでも面白いです。こちら→「鈴木邦男をぶっとばせ!