「崖の上のポニョ」


私は「特別にジブリ作品に思い入れがあるわけじゃないけどその大半の作品を劇場で観ている」というありがちな観客で、今まではなんとなく話題だから観に行く、という流れだったのが今回の「ポニョ」は初めて「観る前から期待する」という過程を経ました。
期待のポイントは二つ。
小さな男の子が主人公、ということと、作画が全部手描きだということ。
いずれも「どんなふうに仕上がっているんだろう?」とワクワクしていました。
そして、それは予想以上でした。期待を超えたほんとうにステキな作品を観ることができました。
登場人物は誰もが愛らしく生き生きしていたし、作画の素晴らしさといったらもう!圧倒されます。
極端な話、ストーリーはおいといて絵だけ見てても十分満足できる作品です。ほんとうにきれいで優しくて広くて深くて夢のようです。
海の中も崖の上の家も入り江も船も森も保育園もケア施設も、すべてが「ああ、いいなぁ」と思える景色の中にある。


賛否両論あるかと思いますが、私はこの作品、とっても好きです。
作品の傾向が似ているというので「トトロ」と比べられることも多いようですが、かなり世界観が違うと思います。
私は「トトロ」も大好きですが、トトロにはある種の悲しみが全編に漂っていて、時にそこに折れそうになるんですよね。
描かれた里山の風景があまりにリアルで、そのまま自分の幼少時を思い出すのもセンチメンタルになりすぎる原因です(その分、心に添いますが、おかげで観るたび必ず泣いてしまいます)。
「ポニョ」にはそんな「既視感」がない、というのが何よりも爽やかでした。からっと爽やか。
個人的な記憶や固定化したイメージから離れた世界は自由で軽やかな感覚を呼び起こします。
私は海のある場所に暮らしたことがないから特にそう感じるのかもしれませんが、海辺で育った人でも「ポニョ」の風景は別世界のものなんじゃないかと思います。ありそうで、なさそうで、現代のようで、ちょっと過去か未来のようで、日本のようで、そうじゃないようで。
ああいう舞台だったら、魚の子が女の子になってやってきたって不思議じゃない。ソウスケみたいな完璧な男の子がいることもとても自然に思える。
要するにすごく「つくりもの」の世界。だからこそスッ、と胸に入るものがあるなぁ、という感じ。


「ポニョ」の世界が圧倒的に明るいのは、主人公が幼すぎて、まだ本当の人生の苦しみや悲しみを知らない、というのが大きいように思います。
「知らない」という無垢が、陽性のオーラを発し続けるのです。
時折「死」や「不安」の影はよぎるのですよ。
暗示的にそういった場面もちょこちょこ出てくる。「怖い感じ」がフッと現れる。
でも、それは本格的な影となる前にその都度いつのまにか消えるのです。
大人だったらそこにいろんな意味を読み取ってしまうものでも、5歳の子供には読み取れないのです。読み取れない、というそのままの形で、物語は進んでゆく。
だから、「ストーリーが中途半端」とか「つじつまが合わない」とか言ってちゃ、この作品は楽しめません、きっと。
5歳の子供の頭の中に繰り広げられる空想につじつまなんてないんですから。
話はつながらなくても、唐突でも、ありえない展開でも、そこにまるっと入りこんでこそ、の「何か」です。その「何か」を面白いと思えるかどうか、がポイントなんじゃないですかね。


ステキな作品でしたが、その中にも「なんだかなー」って部分もありました。
やっぱり声優に関する点、ですね。これは宮崎映画においてはもはや仕方のないことなのかもしれませんが、今回もちょっと気になりました。
個人的な好悪の話で申し訳ないんですが、私、ヤマグチさんが演じがちな役ってのが嫌いなんですよ(ヤマグチさん自身がイヤだというのではないのですよ。「ロンバケ」の南がとにかくイヤで、そのイメージが強すぎるのです)。ガサツで乱暴でいいかげんな女の人、って感じ。
ソウスケのお母さんをヤマグチさんが演じることで、役本来の設定よりもガサツに感じてしまうのです。ヤマグチさんのイメージもさらにそっち寄りになっちゃうような気がするし、なんか、ちょっと残念です。女優さんとしてもっと可能性のある人だと思うのでなおさらこの定番イメージから離れた方がいいんじゃないかと思うなぁ。
子役二人はとても良かったです。大人役は総じてたどたどしかったのですが、そんなところに「大人って大人のくせに子供よりも自信なかったりするんだよね」という等身大な感じがにじみ出ていてかえって面白いかもしれないという見方も出来るかもしれません(笑)。



映画を観るちょっと前に文庫化された宮崎監督と養老先生の対談集を読みました。

虫眼とアニ眼 (新潮文庫)

虫眼とアニ眼 (新潮文庫)


この対談の中で「生まれてきてよかったねって言おう、言えなければ映画は作らない」という監督の言葉があってすごく印象深かったのですが、そういう意識から作品を観てみると、今回の「ポニョ」は、宮崎監督の真髄なんじゃないかという気がします。
ここには命そのものが躍動する嬉しさが全編に溢れているのです。
「はかなさ」でもないし「悲しさ」でもない、ひたすらの「嬉しさ」が。
この映画に寄せる監督の言葉に神経症と不安の時代に立ち向かおう(という作品)」とありましたが、その意図するところは十分に伝わりました。せつないほどに、胸に染みました。
人の子の親として、いろいろ考えることも多いです。
明るく、丁寧に、自然を感じながらのびのびと子育てをしてゆこう、なんてなことをしみじみ思いました(こんないいことを思っても日々の雑事ですぐ忘れちゃうのだけど(汗))
養老先生との対談集では子育ての環境に関して宮崎監督が多くの提言をしていて、その理想のあまりの高さ(と言っても、昔はそれが当たり前だったこと。でも、今ではなかなか実現が難しいこと)に呆然としました。
市街地のど真ん中で自然に触れる機会もろくにないまま子育てをしている私などは危うく深〜い劣等感を抱きそうなほどだったのです。
どんなに可愛がって我が子を育てても、すでに住環境が劣悪なのだから基本的なことがダメなんだ、というところにどうしても行き着いてしまって。そのどうにもならなさに落ち込んでしまいそうにもなりました。
でも、「ポニョ」の中では同じ理想を提示しながらも、そういった説教臭さがなくなっていて、優しいトーンでの表現によって理想郷のあり方を示してくれているので、観ているこちらも心を尖らせずに素直にそのメッセージを受け取れるように思いました。
少しずつでも理想に近づけるよう歩いていこう、みたいな前向きな気持ちになれます。問題はあるけど、少しずつそれと折り合いながらでも進むのだ、と。
やはり言葉ではなくアニメーションでしか表現できないことがあるんですよね。
宮崎監督がアニメーションで表現をし続けることは必然なのだなぁと深く納得しました。