Freaky Flower

100のお題SSマラソン挑戦中!

続いてゆくもの


先日の赤塚不二夫先生の葬儀の際のタモリの弔辞は、久しぶりに見る真骨頂だったように思います。
私はほぼ毎日「いいとも」を見ているタモリ派(?)なのですが、あのタモさんには驚きましたよ。
毎日お昼にいるタモさんは、いつもユルくて軽妙で無理がなく頭が良くてソツもなく・・・実にフラットな心持ちで楽しめる存在なわけです。
それがあの弔辞ですよ。鬼気迫る渾身のアドリブ。
眼帯してイグアナだの中洲産業大学教授だのをやってた頃の不気味な魅力が亡霊みたいにわらわらと蘇ってきた。
ゲテなのにインテリ臭いという、あのわけわかんない凄味が。
そういえばこの人は最初からこんな安全な人ではなかったんだ・・・と、いうことを唐突に思い出しました。
・・・すげぇ。場が場なので不謹慎だけど、ドキドキしました。
なんだかとんでもなくイロっぽく感じてしまいました。
タモリも、そして彼をこうさせる赤塚先生も、二人の関係も。


赤塚先生とタモリが共に過ごした時代や、その濃密な関係を想像すると、うらやましくてたまらなくなります。
人との関わりこそが人生、なのかもしれないなぁ・・・なんてことをしみじみ思う。
個性的な他者との関わりの中で切磋琢磨して才能を生かしてゆくことが大事なんだな、と。
でも、それを思うとき、私は少なからず寂しい気分になる。
私にはすごく遠い世界だもんね・・・。
もしかして私は人生をちゃんと生きていないのかもしれないな・・・と、ものすごく不安になる。
自分に足りないものがあれもこれも見えてくる。
でも、こんな思いがまた赤塚先生の言う究極の哲学に反していることこの上なく(苦笑)。
すべてを肯定し「これでいいのだ」と納得できる心境に至ることができない浅ましい自分にしょんぼりしてしまう。
けれどその一方で、彼らの笑いは、誰あろうそんなしょんぼりしたヒトにこそ向けられているようにも思うのです。


私が小さい頃、ウチには何冊も赤塚先生の漫画がありました。バカボンだけじゃなく、アッコちゃんもおそまつ君もあった。
ウチの母親が赤塚先生のファンで、「赤塚不二夫は天才。アバンギャルドな芸術家。バカボンは哲学。面白いから是非読みなさい」と言っていた。
そんな調子だったから、たぶん私が最初に読んだ漫画は赤塚先生のものだったんじゃないかと思う。
小さい時に読んで強烈に覚えている話がある。
わがままな主人と従順なお手伝いさんがいる。主人はいつも威張っていてお手伝いさんをいじめていたので、ある日お手伝いさんは家を出て行ってしまう。「勝手にしろ!」と主人は相変わらず威張っていたけれど、いざ一人になると何一つ自分でできないことに気づくのです。料理や家事ができないなんてのは当然で、驚くのは一人で風呂にも入れないのです。風呂への入り方がわからないの。こうだったけ?なんて言いながら頭から湯船に入って溺れたりするの。箸の使い方もわからず、洋服の着方もわからない。何もかもがわからず、世界が一変する。
その「なにもできなさ」が可笑しいを通り越してひたすら怖かったのです!
人をいじめるととんでもないしっぺ返しがくる、とか、人は一人じゃ生きていけない、とか、自分は自分が思う以上に実は無力なのだ、とか・・・いろんなことを感じました。
赤塚不二夫の世界の深さを知った、これが最初だったと思う。


赤塚先生の漫画はいつもどこかシュールで、ちょっと怖い。
子供心にも、表面的な笑いの奥に、大きな別のものが隠れているのを感じてました。
だから、ホント言うと小さな頃はちょっと苦手で(母の薦め、ってのもビミョウに影響したのかもしれない。それはちょっと手強いな、っていう・・・)
怖くなくて夢がたっぷりで「空想科学」という名のスパイスで甘く味付けされた藤子不二雄の漫画の方が、私は好きだったのでした。
私の影響で我が家には藤子先生の漫画がたっぷりあり、ウチの子供たちは二人とも藤子漫画で育ってます。
でも、これをきっかけに赤塚先生の漫画を再び読んでみたいと思うようになりました。遠い昔に読んだきり忘れてしまっていたけれど、あのときの衝撃を思い出してみると、子供たちにも読ませてみたくなります。
あの強烈なインパクトを持ったキャラクターたちと、バカバカしいまでのギャグと、シュールな世界観を知らずに大人になるのは惜しいかも!と。
実家にはまだあの頃の漫画が残っているのかなぁ?お盆で帰省したときに探してみることにします。


ウチのボクちゃんは漫画が大好き。



毎日毎日(ホントに毎日!)繰り返し「ドラえもん」を読み続けるボクちゃん。
このヒトは半端ないドラマニアなんですよ。
驚異ですよ。タイトルを見ただけで出てくる秘密道具がわかる3歳児!
藤子F先生はずいぶん前にお亡くなりになってしまっているけれど、ボクちゃんにはそれは関係がない。
毎日語りかけてくれる親しく温かい存在として、F先生は今も作品の中で生き続けているのです。
ボクちゃんの心には確実にF先生のメッセージが積もっていっている。
偉大なる漫画家先生の作品たちは、それを読む読者にとってはいつまでも新鮮です。
同時代の私たちが得ていたものと寸分の差もない、かけがえのない喜びを新しい読者にも与え続けるのです。(新作を待つという喜びだけを抜かして)
赤塚先生のオフィシャルサイトを覗いたら、訃報があってもバカボンたちが変わらずに楽しく過ごしていて、感無量でした。
こういった「世界」を作った作家の幸福、そこに遊べる我らの幸福を思います。
物語は続き、思いもまた続いてゆくのです。
そこにはモノを作ることの歓びの真髄があるようにも思います。
合掌。