最終決戦


予約してあった最新刊が届きました。密林から。
とうとうこれで終わりです。読むのが惜しい!!
でも、まだ読まない。お楽しみはしばらくとっておきます。
先に「謎のプリンス」の映画があるからね。そのお祭りが終わってから!
って、そこまで我慢できそうもないなぁw


ハリポタ騒ぎに関して、某作家が「この作品を面白いとは思えない。なぜみんなが読むのか不思議。3巻で読むのをやめた。子供だましの魔法で何でも解決するだけの話はズルイ。もっといい作品はいっぱいある」などと書いているのを見ました。


笑止です。
そんな入り口で止まったままで何かを言おうなんて不遜の極みだということはさて置いて、その読解力も妄想力も批判力も行動も、すべてが稚拙に思えます。
よしんばその批判的意見に賛同するものがいたとして、そこに何があると?
「こんなのくだらない」という否定的な論調をあえて媒体に載せる意味は?
楽しんで読んでいる多くの人々に対して水を差す意味は?
子供たちが読書を楽しむきっかけになったり、本屋が活気づくのを苦々しく思う理由は?
「もっといい作品」とは?
なんで何かと比べなければならないの?
物語というのは順位付けされるものなんですか?
その優劣は誰が決めるのですか?
まさかあなたですか?
たくさんの面白い物語があるのなら、それでいいではないですか。


名のある文学者が他者の作品を批判するときには、それなりの分析を必要とするのが「常識」です。
その常識を無視して偉そうに切り捨てられるのは、この方がこの物語を短絡的に「ただの商品」としてくくっているからに過ぎません。最初からバカにしているのです。「消費される流行モノ」だと思ってるんだね。
確かにハリポタをめぐるマーケットには胡散臭い話が山ほどあります。でも、それは物語とは何も関係が無い。売れるものに群がる人たちがいるというだけの話です。
市場はいつでも、対象商品がなんであれ、そんな人の巣窟です。
全世界の人がただ流行にのって踊らされているだけだと揶揄する人は、この物語の本当の面白さを何も知らない。
知らないことは語れない。語る資格などないのです。


「ハリポタを読んでもわくわくしない」という人がいたって当然です。
私だって例えばガンダムにはわくわくしませんし、指輪物語にも心惹かれません。
でも、ガンダムや指輪がくだらないなんて思うわけない。だってありえないでしょう?あんなにたくさんの人が夢中になるものがつまんないわけないんですよ。自分にとってどうだろうが、本質は別のところにあるわけです。
その面白さを理解できない自分を認識するだけのところから「あんなのつまらない」なんて不遜な言葉は出てこないはずです。そんな思考回路は子供以下です。
人は時には子供以下にもなります。友達同士の会話なら、それで構わないでしょう。パンピーのブログだったらそういうこともあるでしょう。
けどね、名のある方が紙媒体(新聞ですよ)で、読んでもいないのにつまらないだの読む人の気が知れないなんて言っちゃダメですよ。ユルすぎるよ。居酒屋トークかよ。
ハリポタは全巻読まなければ完結しません。3巻で読むのやめたら読んでないのと同じ。ちなみに私だって2巻まではつまらないと思っていました。だってそれはまだ序章だからです。
それに「魔法で何でも解決する話」って何?
ハリポタは「魔法では結局何も解決しない」という話なのですけどね。


まぁ、いいけどさ、どうでも。
私には楽しみなんだもん、それでいい。
んー…でも、「くだらないもの読んでありがたがってる奴」、と言われるのはやっぱり面白くないんだな。だからこんなエントリ書いちゃう。ああ、瞬間湯沸かし器みたいだ。反省。