今週読んだ本から。マニアと大衆を考えた2冊。

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)


■「オタクはすでに死んでいる」


オタキングこと岡田斗司夫のオタク分析本。
「オタク」=「萌え」になってしまった不可思議な変転を内部にいた(はずの)人間の目から解析しています。
「オタク」が死んでしまったかどうかは感じ方の違いかと思うけれど、確かに「オタク」という言葉でかつてくくられていたものが今現在くくっているものはまるで別物なのではないかという気は、外側から見ていても感じますね。
でも、元・オタクたちは、これで晴れて言葉の縛りの外側に無事に脱出できたのではないか?とも思うのだけど。
名前がないことに不安なるのはわかる。だって名前はアイディンテティだからね。
でも、本来は不名誉だった「オタク」という呼称ではなく、その言葉が生まれる以前の、「知的でこだわりが強く人と違ったことをする「マニア」的な世界に耽溺する人々」として、ある意味その社会的存在位置は「復権」したようにも思うのだけど、どうなんでしょう。
思いがけず「M事件」以前に戻れたことは、元・オタクたちに平穏をもたらしたりはしないのかな。


別世界のかつての「オタク」として、マニア世界の変転というのは私も同じように感じてますよ。
私が中華明星迷(オタクですよ、これもね)だったときは、周りにいた迷たちは多かれ少なかれ自分から何かを「創り」「発信し」「布教」することに喜びを感じる人ばかりだったように思います。私のやってきたことはまさにそれだったし。
熱心な同人活動は多々あり、深い研究者風情の方もたくさんいらっしゃり、それを仕事にしようとする人もいた。
自分の一押し明星が出ていない作品でも、中華電影だというだけでみんないろんな作品を観ていた。
知識もあったし、矜持もあった。やってることはオバカなんだけど、知的でしたよ、とにかくね。
それぞれが傍観者でいることに飽き足らず何か自分らしい表現でもって、誰かにその素晴らしさを伝えようとしている人が大勢いたように思うんですよね。


それがあるときから様相が変わった。
実感としてあるのは韓流がブームになった頃。
あの頃から、集団による過激な追っかけ、商品の乱発と買い漁り、盛大なファンミ、万人規模のコンサート…と、ただひとすら「消費」を主眼にしたアイドル市場が生まれ、中華明星もそこに影響され同じような雰囲気の中に吸収されていったように思うんですよ。
与えられる世界を次々と受け取って消費しキャーキャーワーワー言うだけの集団ヒステリー。
もはやそれは「マニア」のものではなく、多くの選択肢の一つであり、イケメンを探して気軽に入ってこられる世界になった。


それでも、昔ながらの明星迷はいなくなったわけではないでしょ?
彼女たちは絶対に健在なはず。目立たないだけで。
そしてそれを「華流」なんて言葉で呼ばない(たぶん本人たちも呼ばれたくない)だけでね。
「華流」?笑わせる。
そんな言葉、知ったこっちゃない。
言葉での縛りなんてのは、実は便宜上のものでしかない。
「オタク」もしかり。「萌え」?どうでもいいじゃん。そんな単純な世界じゃないよね。


本当のマニアは社会的には理解されにくく、より単純なものの方にスポットが当たり、より単純であればこそそこに参入する人口も増えるんですよね。
それはどこの「マニア界」だって似たようなもんでしょう。


■「ボクたちクラシックつながり ピアニストが読む音楽マンガ」


いづみこさんの著作は今までにいろいろ読んでいるし、とてもくだけていて面白いものばかりだったのですが、これはちょっと大衆に迎合しすぎ、って感じ。
クラシックに興味ないヒトが行き交う表通りに出て
「この店、敷居が高そうですけどそんなことないんですよ、わかりやすいですよ、面白いですよ」
ってチラシ配って必死に営業かけてるみたいな。
しかもチラシ配ってるのがアタシみたいな支店のバイト風情じゃなく、本店の営業部長みたいな人がわざわざやってきて…ってな風なんだからせつなくなる。
そりゃね、コンサート人口増やさなくちゃクラ界もジリ貧ですよ。
ン十万のチケが簡単にソールドアウトしたバブルの頃を懐かしがってても仕方がないし。
でも、クラシックを「おもしろおかしく」語って人を呼んでも、そこで寄ってきた人は本当に店の中に入ったらビビリますよ(笑)。
敷居、高いもんね。やっぱりそれなりに難しいし、頭も使う。もちろんその先に楽しみも喜びもあるのだけれどね。
ひとくくりに「音楽」と言ったって、その機能がロックやフォークとはまるで違う(ボロジャなんか、ロックやフォークは音楽じゃないとまで言ってるwこれはロジック的に過激な意見ですけど、本質的には決して荒唐無稽なものではないです。あとで書く機会があったら触れてみようとずっと思ってるんだけど)。
まず最初に(動機はどうあれ。つまり「のだめ」だって全然OKだが)とにかく自発的な「好き!」という強い気持ちがなければどうにもなりません。
好きじゃなきゃ始まらない。
その情熱なくしては素養のない人間が入っていくにはぶっちゃけ難しい場所です。
それは小さな頃からクラシックが日常にあった人(いづみこさんもしかり)にはちょっと理解が及ばないかもしれない。


「のだめ」のファン人口は多くて、その人たちをクラ界に誘導できたら…とマーケティング部は思うのだろうけれど、あれはあくまでも物語のファンであって、クラのファンではないですからねぇ。
いったんは来ても定着率はそれなりだという気がします。
で、「のだめ」でクラにズッポリはまる人には、そもそもこういう誘導は必要ではないだろうしね。
クラのファン人口を増やすにはやはり演奏家の開拓が一番重要だと思いますよ。
実力派の若手イケメン奏者がいたら、ずいぶん状況は変わります。単純なことですけど、それが一番確実な入り口になる。
なにはともあれ早急に本物のチアキシンイチを探すのが先かもよ!