松山猛の2冊 

パッチギ!」関連で(というより、フォーク・クルセダーズ関連で、ですね)松山猛さんの本を続けて読みました。
もともと松山さんの文章は好きでしたが、お洒落なエッセイばかりを書く人だと思ってて、「イムジン河」のイメージにはどうも結びつかなかったのです。
が、これらを読んで納得しました。
要するに、松山さんにとって「イムジン河」はイデオロギーがあったがゆえの作品ではなくて、もっとフラットで単純なきっかけから生み出されたものだったのだとわかったので。
このフラットさというのは、とても「自由」な感じがしてイイですね。実に松山さんらしいなぁ。

もう話してもいいかな

もう話してもいいかな


「もう話してもいいかな」の自伝エッセイを読んでいると、なんかもう、いいなぁー羨ましいなぁーと思ってしまう。
戦後の、貧しくとも豊かな中に育ち、まだマスコミが大衆の憧れだった時代に、その真ん中で働き、新しいものを生み出し、刺激的な仲間と出会い、夢をかなえてゆく、というね、よき時代に羽ばたく若者の豊かな青春物語が綴られております。
彼らは、「本物の大人」に育てられた「本物の若者」だったように思うんですよね。
今じゃ「本物の大人」も「本物の若者」もどこにいってしまったのか…とにかくここにはいないような気がする。
60年代、70年代にはこういう「大人」な年上の人たちがあちこちにいたという印象があります。
今見ても当時の若者文化の知的レベルの高さには驚きますからね。
幼いながらも私はそういうお兄さんお姉さんたちに強烈に憧れていて、いつかは自分も自然とあの輝かしい「大人」というものになれるのだ、と考えていたのです。
自分がこんなコドモのような不完全な大人になろうとは、考えもしなかったですよ。自分ばかりじゃなくて、私の世代はどうにも子供っぽい。
若者が目指したくなるような大人になれなかったことは、自分の損失ばかりではなく社会にとっての損失でもあると思います。
面目なく、申し訳ない。いや、ホントに。
そういや「パッチギ!」に出てきたオダジョーの役ね…あれが松山さんの若い頃のイメージ(を、もっと強気にした感じ)ですね。
絵を描き、作詞をし、ふらっと海外に行って世の中を見てくる。そんな自由でクリエイティブな若者。
いいなぁ〜。永遠の憧れだなぁ、そういうの。
なぜ私はそうなれなかったのだろう?絵も描き詩も書きふらふらしてたのにな…うーみゅ(^^;;)。

少年Mのイムジン河

少年Mのイムジン河

  • 作者:松山 猛
  • 発売日: 2002/06/17
  • メディア: 単行本


「少年Mのイムジン河」の方は、子供向けに書かれたものですが、どうも魅力に乏しいです。
編集が悪いっていうか、雑なのね。
中途半端に説教くさくなってるのもアレだな。
松山さんはそんなキャラじゃないほうがいいのに。
本の薄さも冗談みたいだ。もうちょっとどうにかならんかったんか。