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「祭りの準備」

祭りの準備 [DVD]

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70年代の映画を見たくてなんとなく借りたのですが、予想外にいい作品でした。
舞台は70年代じゃなかったけどね。
「昭和30年代初頭の高知県中村市を舞台に、母親から溺愛される青年が、自立=“人生の祭り”への願望に身を焼かれる思いで苦悩する様子を描いた青春映画」(アマゾンの作品紹介より)てな作品です。
ATG特有のわけのわからない理屈っぽい映画かなぁ・・・と思ったのですがそうではなく、青年期の葛藤と旅立ちという普遍的なテーマを上手く描いています。
共同体の隣人たちのキャラクターもとてもイイ。一人一人の人生がちゃんとそこに感じられる存在感を放っています。
哀しくて、滑稽で、汗臭くて・・・みなとても人間臭い。
原田芳雄馬渕晴子、浜村純、ハナ肇杉本美樹・・・芸達者勢揃い!
蒸し暑く、薄暗く、性的な匂いに包まれたムラ社会の人間模様を描いていながら、不思議とドロドロした感じはあまりないです。
年齢も立場も違う彼ら一人一人の苦悩や欲望が、なぜかすんなりと理解できる不思議。
さまざまな面で逸脱している人たちではあれど、その逸脱はどこか既視のものなのです。
昭和には、「昭和の人間」というものがいるのだなぁ・・・と、なんか、そんなよくわからないことを感じ、自分もまたそこにいる人間なのだとしみじみ思ったりして。


江藤潤(これがデビュー作?)の演じる主人公は、どこまでもまっすぐに青年らしい青年です。
その葛藤や欲望や優しさが、これまたスッと胸に入ってくる。これが青年ってもんなのだろうな、という意味での直球です。
ズルイ女の子を演じる竹下景子も最高です。
彼女の持っているちょっと鼻持ちならない印象が、役にとってもよく似合ってました。「清純派」なんてのよりよほど魅力的。


社会運動に関する描写も、ちょこっと出てきます。
昭和30年代でもすでに「オルグ」なんて言葉が若者の間で使われていたのにちょっと意外な気がしましたが、小林多喜二(なぜか今話題の。)の小説で「オルグ」ってのがあって、それは昭和6年の作品だっていいますから、ずいぶん以前から浸透していた言葉なのですね。
うたごえ運動や討論などやってるような若者の集まりに、先生ヅラした活動家の指導者が来て、若者たちに「いかにも正論」な言葉を投げかけて妙に尊敬されちゃったり・・・可愛い子ちゃん(ここでは竹下景子ね)が指導者に心酔して処女まで捧げちゃったり・・・ってのは、ありがちだなぁという感じ(笑)。
真面目に社会を変えようと活動していた人だってもちろんたくさんいたでしょうけど、やはり当時の風俗というか、若者のひとつの立場として、主義活動はその他の選択肢の中の一つとして普通に存在していたのだろうな、という気もします。これやってっとモテるのよ、みたいな。現実世界からみるとちょっと地面を離れたところに浮いてたのかもね。
かたや性と情が絡んだムラ社会の生活があり、その傍らに主義活動に理想を見い出す若者がいて。でも、その底辺にもやはり性と情が絡んだ世界があって・・・。
ああ、どう転んでも暑苦しい!
そのいずれもから逃れ、「東京」へ!と逃走してゆく主人公の焦燥がとてもよく理解できます。
当時の田舎の青年にとって「東京」とは「ここではないどこか」の象徴で、それは単なる都会という意味ではないのです。


寺山修司は「家出のすすめ」でこう書いています。


「地方の若者たちはすべて家出すべきです。
そして、自分自身を独創的に「作り上げてゆく」ことに賭けてみなければいけない。」


どうしようもなくなったら、家出をする(家出、というか、要するに家を離れて上京することですね)。
昭和の若者は、それで何かを少なからず変えられたような気がします。
それだけ、「地方」は閉じていた。その感覚は、私の記憶の底辺にも根強く残っています。
けれど平成の今ではもはや地方も東京も変わらない。
むしろ東京へ行ったら余計に人生上手くいかないだろうという予感が地方の若い人たちの間にあるように思えます。
家出という幻想さえ持てなくなった時代、自立するための通過儀礼というものはどんなものなんだろうな・・・。