Freaky Flower

グルテンフリー生活実践中!

政治の季節に若かった二人


うわ。あっという間に1週間が。
いろんなことで忙しくてバタバタしてしまってます(哀)。


先日の続き。

本と映画と「70年」を語ろう (朝日新書 110)

本と映画と「70年」を語ろう (朝日新書 110)


これ、読みました。思ったとおり面白かったです!
ああ、こういう真に含蓄のある大人には成れないよなぁどう転んでも・・・と、自分があまりにも小さく、物を知らず、教養がなく、世界と同時に生きていないということに愕然として落ち込んでしまうのですが、反面、届かない場所であるからこそものすごく憧れます。
なので、とにかくお話を聞いて(読んで)いるのが楽しかったです。
大人ったって、「あの頃、若者だった」大人ですからね。そこからここの過程は実に興味深い。
やっぱり最強に素敵なお二人ですよ。めっちゃくちゃカッコいい。←って、もうホントに馬鹿な感想・・・。


川本三郎先生は少し抑制的というか(もともとそういうタイプっぽいですが、鈴木邦男さんがイケイケなのでよけい目立つ)、相変わらずそっけない感じが無きにしも非ず、かな。
てより、やっぱり幾分腰が退けている感じを受けました。
でも、ラブコールを送った張本人である鈴木さんの方はそんな川本先生の戸惑いぶりをも、気づかないフリして・・・というか、ごくフランクに自分の語るべきことを語り、寄り添う姿勢を崩さない。
「いいの!僕が川本さんのこと好きなんだから。」な感じなんですよw
川本先生も鈴木さんのそのラヴ光線に「・・・な、なんで?(汗)」という意識がぬぐえないせいで戸惑ってるようにも見受けられます。
告白されなれてない男の子が、思いがけず、活発で社交的でおよそ自分とは住む世界が違うであろうちょっと怖い雰囲気の茶髪の女の子に告られて「僕は騙されてるんじゃなかろうか?」との気持ちを半分抱えながらも、「でもちょっと嬉しいかも・・・」みたいな可愛い感じ。(←妄想大暴走、失礼!)


それにしても鈴木さんは天真爛漫で、とても不思議な人です。
ソツがなくてイデオロギーに関わらず対人関係を築ける人で、でも迎合せず、ちゃんとホネもあって、しかも優しいんですよね。
(鈴木さんの優しさに気づいちゃう川本先生も同じくとても優しい人だと思います。やはりどこか似ているのでは?)
私は大学生の頃、極左大学の学生だったせいで、左翼の横暴ぶりに嫌気がさして反動で一時期右翼的志向をもっていました。*1
そんな当時の私にとって、「一水会」の代表だった鈴木さんは新鮮な驚きでした。
「右翼にだってこんなリベラルで頭が良くて魅力的な人がいる」という・・・なんというか、救いのような存在だったんですよ。
考え方の広さや穏やかさや絶妙なユーモアなど、ホント、それまでの右翼とは全く違ってた。
その後、鈴木さんは政治を離れてなんだかサブカルチャーっぽい方に行ってしまったかに思っていたんですが(詳しく知っていたわけでもないので、そういう印象だったということです)、そういうことでもなかったらしく単に活躍の場を限定しないというだけのことだったのですね。
狭い世界では収まらないくらい、自身の好奇心が強くてパワフルな人なんだな、ということが、この対談でも伺えます。
川本先生もしきりに感心していたけれど、鈴木さんの人脈というか、対人関係の多彩さは驚きに値します。
いろんな人と付き合える人って、学ぶことも多いだろうし、楽しいことも多いのだろうなぁ・・・。私には想像できない世界があるように思います。
鈴木さんの話を聞いていると、「人と付き合う、ってのはとても大事なことかもな・・・」と、どっちかっていうと人付き合いが苦手な私でも思えてくるのです。
誰にでも可能なわけではなくて、鈴木さんが、そういうことができる稀有な人なわけですが。


川本先生は思いのほか若き日の挫折を抱えている印象ですが、だからこその研ぎ澄まされた感性があるように思います。
他者の感情に敏感というか。ディテールに対して繊細というか。そういうところがとても好きなところです。
死を良しとしない、生きることこそ大切だという感覚も大好きです。そういうことも、貪欲さではなく刹那という感覚の本質的な部分を感じているからこそなのだという印象を受けます。
先生の言葉の中に印象的なものがありました。


「うまい酒は水のようだって言いますけれど、文章も「私」をとると水のようになる。」


ま、あんまし対談内容とは関係ないんですが・・・
これは、主語である「私」という語を使わないで文章を書くようになった、という先生の話の中で出てくる言葉です。
個人的に最近、同じことを考えて試していたところなので、「おお!」と思った次第です。
さすが先生。いつも私のツボをついてくる。
私の場合、この方法でのうまい文章ってのを見つけたのは、ちょっと前に読んだ「ディボーシング・ジャック」という翻訳小説なのですが、この小説での文章がなぜこれほどまでに軽快でリズム感があり、視点がブレないのか?というところで、ふと立ち止まり考えてみたら、文章に語り手である自分をあらわす主語がとことん使われていないことに気づいたのです。
「ああ、これだ!」と。
以来、その方法を使って表現してみようと試みていたりするわけです。
そういうことをちゃんと気づいているというのが、すごく川本先生らしくていいなぁと思いました。


酒宴の末席で、ドキドキしながら二人の稀有な「思想家」(と、言ってしまおう)の面白くて貴重な話を聞かせてもらっているような気分になる素敵な対談です。

*1:・・・といっても授業サボって隣にある靖国神社の境内で三島由紀夫を読むとか、皇室が好きだとかその程度。
卒論は古代天皇に関してのことを書いたので、そういう意識のあり方も無駄でもなかった・・・かもしれませんが。
ちなみに私が生まれて初めての選挙で投票したのは大日本愛国党でした(爆)。