机の中はタイムマシン

GWのエントリを書いていたらなんだか急に昔懐かしい気持ちになり、整理しないまま納戸にしまいこんでいる古い写真の箱を久しぶりにひっくり返してみました。
例のアパートの部屋を写した写真が何枚かあったはず、と思って。
とりあえず1枚だけ見つけました。
これ↓



って、なにがなにやら…という感じですが。
これは部屋の壁です。
角部屋でしたので、東(大隈講堂が見える)と北(都営早稲田アパートが見える)に窓があり、南に出入り口と押入れがあり、西側だけが一面壁でした。
ざらざらとしている砂壁がイヤで、私はそこに全面英字新聞を貼り、その上に当時大ファンだったデ・ニーロの切り抜きをご覧のようにぺたぺた貼り付けていました。
20年前の話ですから、切り抜きのデ・ニーロも若いね。
早稲田松竹で「タクシー・ドライバー」をやってる時は、毎日のように見に行きましたよ。その時だけで7回くらい見た。
ビデオがない(というか、あるけど一般的ではなかった)時代だから、動いてるデ・ニーロを見るためには映画館に行くしかなかったのです。
見続けすぎて自分がトラビス(「タクシー・ドライバー」の主人公ね)になった気分に陥ってました。
私もまたもう一人のトラビスだったんですよ。
何をしてもうまくいかず、何も結果が残せず、疎外感と戦いながらそれでも何かしなくてはと無駄に前向きで。
だから、結果オーライなこの映画の結末は好きだったなぁ。
あの頃は映画ショップでポスターやパンフ、プロマイドなどを買うのも楽しかったです。今ではパンフなんてあまり有り難味を感じなくなっちゃったけど。



変わってこちらは92年の上野です。
先日閉店した「聚楽」のちょうど上の部分にあたる西郷像前の広場から駅方面を見下ろした風景。
この広場は人と待ち合わせをするのによく使った場所なので、いろいろな思い出が多いです。
「上野はオイラの心の駅だ」と歌うナツメロがありますが(「ああ上野駅」。古すぎる(汗))、決意のほどは違っても、それは私にもちょっとだけ言えるなぁ、と思います。上野がなけりゃ、東京は始まらない。


さて。ついでにもう1枚。
表題はドラえもん方式ですが、ホイチョイ製作の映画「バブルへGO!」では、ドラム式洗濯機がタイムマシンでした。
で、タイムマシンから降りたヒロスエがはじめてみるバブル時代の風景が、建設中のレインボーブリッジなんですよね。
なんかもう、あの風景にはグッとくるものがあります。
晴れた東京湾に巨大な橋がかけられてゆく。開発と発展。機械的な構造的なイメージの美しさ。新しい時代が来るときの何か高揚した気分。
そのイケイケ気分はほどなくポッキリと折れ、閉塞感のある時代へと変わってゆくのですが、そんなことはツユとも思わずみんなが浮かれていたあの頃。
私の写真の中にもちょうどその頃のレインボーブリッジを写したものがありました!



晴海埠頭から「13号埋立地」を臨むの図です。
「お台場」を昔はこう呼んでいました。
なーんにもない空き地でしたけど、大好きな場所でした。
湾の上に建設中のレインボーブリッジが。
もうほとんど完成に近い形になってますねー。レインボーブリッジはこの翌年開通します。これ、1992年の写真ですからね。
バブルはもう事実上は終わってるのけれど、まだまだみんな浮かれていた頃。
佇むアタシもしっかりとロングのソバージュというw この時代ならではの定番髪型をしておりますよーひー。
そのくせ服は全身「VIVAYOU」でね。
すでに社会人ですが、このかっこうで会社行ってました。オリーブ少女もどきのまま。
写真がモノクロなのはもとがそうだからです。
アートな写真を撮ろう、とわざわざカメラにモノクロフィルムを仕込んで持ち歩いていたのですよ。
仕事柄、毎日東京のあちこちをまわっていたので、その先々で面白い風景をいろいろ撮って歩いていました。
ほとんど捨ててしまったのが今となってはとても残念。


引き出しの中はホントにちょっとしたタイムマシンがあるようですね。
昔の自分を思い出すのはあまりシュミじゃないけれど、このごろ急に、かつて過ごした古い街が気になるようになっちゃって。もう一度見たい風景、もう一度訪れたい場所ってのがあちこちにある。
そこにかつての姿などないとはわかっているのだけれど、かつての姿を見たいわけでもないのだよね。あえて言えば、あそこからここまでの「時間」をそこに見出したいというか。
なんというか、それってたぶん「物語」の魅力なのだと思う。
全ての物事は時とともに物語となる。
そろそろ私の「過去」も、物語として私自身を適当に離れて立ち上がってきたのかな?という感じなのかもしれません。