黄金週間(その4)〜ぶらり東京大学から上野まで

なんかもー、だらだらとGWのことを書き続けておりますが(汗)まだまだ続きます。


早稲田を後にし、都バスに乗って根津まで行き、そこから今度は東京大学へと足を運びました。
「大学巡り散歩」な風情になってきましたw
上野に出るのにちょうどいい散歩コースだったのと、以前から学生運動に関することを調べるのにハマっている私が「安田講堂を見たいなぁー」と思ったがゆえのチョイス。
私も旦那も東大の構内に入るのは2度目。ここは古色蒼然たる古い建物がそのまんま!風格がありますねー。
広さも威厳もさすが日本一の大学です(本郷校舎のごく一部しか歩いていませんが、それでも信じられないくらい広い!)。


おおお!安田講堂デス!
かっこいいいいい。
1969年1月の攻防戦を想像しながらグッとくる気持ちを抱えつつ、講堂前に佇みましたよ。
全共闘の旗が翻り、機動隊の楯がずらっと並び、放水車に囲まれたあの有名な安田講堂の姿も今は昔。
ってか、以前来たときには後ろのやけに近代的なビルはなかったはず。
このビルが安田講堂のベストショットを撮影するのに大いなる邪魔になっておりますがな。美意識ゼロでなんとも無粋。どうなってんの。


ついでですが、
安田講堂攻防戦のフィルムを使った森田童子の歌がここ↓に。
うー。グッとキますね。団塊でもないのになんでこんなにシンパシーを感じてしまうのであろう自分(汗)。



森田童子 「Dōji Morita」 ||| みんな夢でありました 「It all happened in a dream」



私が学生運動のイメージに惹かれるのは、理屈じゃない。思想でもない。ただのセンチメンタリズムです。それも妄想の。
だからもう、誰にどうつっこまれても言葉の返しようがないのだけれど、私はどうしてもあのイメージを追うのが好きなんですよね。自分が当時あの場にいたら、絶対にノンポリの芸術家気取りだったと断言できるのだけれど(!)
あの頃流行った歌を聴き、アジびらの独特の書体を見るだけで条件反射的に何かがこみあげる。たぶん、私はそこにすごーく「物語」を思うのです。
「物語」にイイも悪いもない。本当のことを教えてほしいわけでもない。ただ私は想像していたいのです。


さて、アタシが安田講堂を眺めながらこんな歪んだ妄想を抱いているなんてのは家族の誰も知らない話(笑)。
そんなこと考えてるとはツユも思われない見たくれただのオバサンは、幼児連れで生協に行って東大名物土産を買うおのぼりさんでありますよ!
東大で買ったお土産はこちら↓



赤門ラーメンのスープ、東大饅頭、東大ゴーフルです。
さすが東大。いろんなオフィシャル(?)グッズが売っております。
てか、近年、東大では生協の他にUTCC(東京大学コミュニケーションセンター)なるところでもグッズ販売を始めて、そちらのグッズがかなりオシャレだと評判のようなのですよ。って、どうでもいいですかねw



お饅頭の箱の中身はこんな感じ。月餅みたいな見た目。餡は2種類。
甘さ控えめで、思ったより美味しかったですよ!


その後、東大から池之端に出て不忍池をぐるりと回って上野の駅まで歩きました。



雨上がりの空。不忍池
不忍池の周りでは古道具屋がたくさん露天に出ていて、覗いて歩くのが楽しかったです。
ものすごく可愛いカエルの置き物に目が留まり、一目惚れをしてしまいました!!
どーーしても欲しくなってしまい衝動買い。



1体は親指ほどの高さの小さなものです。
日光の三猿(「見ざる、言わざる、聞かざる」)を模したカエルなんですが、もう1体、おとなしく座っているだけの子がいるでしょう?
この子、実は股を押さえているんです。「漏らさず」君なのですよ!
可愛いいいい!!
「見ず、聞かず、言わず、漏らさず」ですね。


上野の駅前に出ると、先日閉店したばかりの「聚楽」の建物がまだ残っていたので記念写真を。



小さな頃から馴染んだ「東京の風景」がまたひとつ消えてゆくなぁ。
聚楽の入ってる建物というのは、長いこと上野のシンボル的な存在でした。
私は上京するときにはまず上野に出る北関東の人間ですので、この建物にはなんともいえない懐かしい記憶が絡んでるんですよね。
古いものはどんどんなくなっていって寂しいけれど、そういう昭和の時代の尾っぽに触れられた世代だということをあらためて嬉しく思いますね。
次なる時代には、どんな風景が見えるのだろう?



東大の構内で。
お昼寝しているボクちゃんの上に降りてきた一葉の葉っぱ。
この刹那の果てしなくイトオシイこと。


「神の御前では、一日が千年のようであり、千年は一日のようです」(第2ペテロの手紙3章より)