ジョン・キャンディのこと。


今日はジョン・キャンディの14回目の命日です。
彼が亡くなった日のことを、私は今でもよく覚えてる。そのことを少し書いておきたいと思います。

1994年の今日、私は茨城の大洋村(現:鉾田市)あたりをドライブしていました。
仕事の関係でそっち方面に出向いたついでに、春めいたお天気のイイ日だったので、久しぶりに海が見たいと思って海沿いまで出たのです。
陽光あふれる長閑な海沿いの道を走りながら、FENのラジオ放送をずっとかけていました。
当時の私はダン・エイクロイドの熱狂的なファンで、アメリカのコメディ映画にぞっこんだった。スティーブ・マーティンチェビー・チェイス、ギルダ・ラドナー、ジョン・キャンディビリー・クリスタルダナ・カーヴィー…芋蔓式に出会ったたくさんのコメディアンたちが愛しくて、B級作品を見まくった。CampbellのV8を箱買いし、腕にはTimexの時計、車に乗るとFENを聴いちゃうアメリカかぶれ。リスニングなんてまるでダメなクセにそれでもあの雰囲気が大好きだったのです。
その日、FENのニュース番組でジョン・キャンディがどうしたこうした…というニュースが突然流れてきた。
「どうしたこうした」の部分がよく聞き取れないまま、次のニュースの時間が。そしたらまたジョン・キャンデイの名前が出てきたのです。しかも、「heart attack」「died」なんて言ってるではないですか。
え?亡くなったの?嘘でしょう?!と思うまもなく「ダン・エイクロイドが…」なんて、ダニーの名前まで出てくる始末。
さらに緊張する。詳細がわからない。冷や汗が出てくる。
ドキドキしながら、次のニュースの時間を待った。
今度は全部を聞き取れた。
「今日、コメディアンのジョン・キャンディが心臓麻痺のため亡くなりました」と、ニュースは言っていた。


私は呆然と車を降りて、誰もいない海を眺めた。
海辺にある無人の別荘の白いフェンスに、かもめが一羽とまっていた。
波音に混じってかすかに聞こえるFENのラジオ放送から、陽気なカントリーミュージックが聞こえていた。
どこまでも穏やかな春の日。
青い空と、青い海と、白いフェンスと、白いかもめと。


あの太陽みたいに明るいジョンがもうこの世界にいないってことがなんだか信じられなくて、私はただぼんやりと、彼の若すぎる(43歳だった)死を思った。
同時に、ベルーシのことや、また一人だけ取り残されちゃったエイクロイドのことを考えたりした。*1
心臓麻痺だなんて。あんなに太っていたからだよ、バカだなぁ…と悔しく、それでもジョンはあの樽みたいに大きなカラダがあったから、あんなにみんなに愛された陽気なコメディアンでいられたのだろうし、それはもう言ってもしかたがないことなんだろうな…などとも思い、とにかくこの愛すべきコメディアンの新作がもう見られないのだという寂しさを抱えて、私はその日一日、なんだか空ばかりを見ていた記憶があります。


そんなわけで、1994年の3月4日の情景は、私の記憶から抜けることなく今日まで強烈に残っています。
そこにははっきりと風景があった。美しい風景が。それらがまるまる全て、ジョンの色に塗られている。
だから私の中のジョンの肖像は、暗い色で囲まれてはいない。
青い空と、青い海と、白いフェンスと、しろいかもめと…そんな美しい春の色の中にある。
対する想いの距離が近すぎもせず遠すぎもしなかったせいか、悲しいとかせつないという気持ちは不思議となくて…ポカンとした寂しさと、センチメンタルな想いでいっぱいでした。
ジョンは私にとって、愛する俳優たちの魅力をいつも引き出してくれていた大好きな「親友」だった。ダニーも、トムも、ジョンが隣にいたから輝けた。
そのステキなハーモニーは、今でも残された作品中にしっかり息づいていて、いつだって観る事ができる。
死んでしまったけど、死んでしまったような気がしなくて、ただジョンは空にいるだけのような気がしています。今でも。


ジョン。
あなたは今でもいろんな人を楽しい気持ちにさせているよ。
これからあなたを知る人だって、きっとたくさんいることでしょう。


セカンドシティ時代のジョン・キャンディ(中央)。左がユージン・レヴィ、上にダン・エイクロイド
若き日の彼らはまだ見ぬ未来をどう思い描いていたんだろう。

*1:ダニーとジョンはカナダ時代から同じコメディ劇団・セカンド・シティにいた仲良しなのです。セカンド・シティには「スプラッシュ」で共演もしてるユージン・レヴィもいた。みんな、仲間だったのね。