ボクちゃん3歳になる

昨日は息子の3歳の誕生日でした。
プレゼントは英語の絵本と歌のCD、スクラブル、ジジババからお洋服などなど。
ちなみにご本はこの↓デヴィッド君シリーズです(爆)ええ、もう完全にアタシのシュミですよー。

Oh, David! (Diaper David)

Oh, David! (Diaper David)


なんとボクちゃんは英語が大好きなんです。あやかりたい!
もともと文字が好きで、2歳になる頃にはひらがなとカタカナを全部覚えたくらいなんですが、それと同時にアルファベットにも興味を持ってパパの見ている英会話番組を一緒になって楽しむようになりました。で、半年ほど前から英語教室にも通っています。
今ではかなりの単語を覚えているし、歌う歌の8割くらいが英語だったりします。
「猫」は「cat」とも言うし、「ありがとう」は「Thank you」とも言う、と「モノには必ず二通りの言い方がある」というのを概念としてとらえられているみたいです。(ママのことは「ママ」と「よーちゃん」だと思ってるがw)
何かモノの名を言う時に英語でも言わせてみる、というのを家でもできる限り実践しています。「片付けて!」と言ったあとに「Put away!」と言うような言葉かけとかも。コツや発音は私が先生に教わりながらね。こうしてると、自分がいかに(英語の)ボキャ貧かというのがわかります(汗)。


私は自分ではかなりの日本語遣いだと自負しているのですが、その同じレベルの話を英語でするにはあと50年くらい勉強しないとムリです。つまり、英語で会話するというのは知性を失う、ということなんですよね私にとっては。幼稚園児以下に戻る、ということさ。
ツールが扱えないということにとどまらない。人間は言語で成り立っているわけですから、言葉がないところには哲学も思想も感情も「個」さえも無いのです。
ヤになるね。イイトシしてそんな、ねぇ。でももうどうしょうもない。そういうものだと思って恥を忍んでできる範囲でやってくしか。
なので私は、他者と最低限の意思疎通ができるツールとして少しくらいは使えるようになれたらいいなーくらいの気持ちでしか英語を学習する気がないわけですが、それだってもう精一杯!アップアップです。
上のお嬢は幼少時に英語に興味を持たなくて何もやらせてなかったのですが(我が家は子供が自ら興味を持ったものしか習わせません。情熱なきゃ続かないし意味ないもんね。学習塾も行ってない。お嬢はピアノひとすじ。)、中学に入ってから始める英語はやはり「勉強」で、どうも言語が本来もってる自由な表現の楽しさとかから遠い苦行みたいな雰囲気です。ま、この子は勉強が得意なので(笑)それでいいのかもしれませんが、いかにも損した気もするんですよ。いや、まだ全然遅くはないけれど。
せめて言葉が好きなボクちゃんには早くから馴染める環境を作ってあげよう、という親心ですかね。
モノを考える言語がどっちつかずになってしまうのがいちばん良くないんで、日本語で血肉をしっかりと作らなければ、というのもより強く感じていますが、まぁこの環境じゃどう転んでも英語でモノを考えるようにはなりませんから、そんな杞憂の前にじゃんじゃん耳を慣れさせちゃったほうがいいと思ってます。楽しく覚えてくれればいいな、くらいの気持ちでね。
てか、私自身も覚えたい!という気持ちを抱えつつ。



スクラブル本来の遊びはまだ小さすぎてムリなんですが、こども英語じてんを見ながら、単語を作ってゆく遊びなどをしてます。
大文字と小文字もいつの間にかマスターしてるんですよねぇ…なんかもう、スゴイなぁーと思うのよ。って、親馬鹿ですねすみません(汗)。誕生日ってことで、大目に見てね!