「ギャングスター・ナンバー1」のノベライズ

ギャングスター・ナンバー1

ギャングスター・ナンバー1

  • 作者:佐野 晶
  • 発売日: 2003/04/30
  • メディア: 単行本

先日の「ギャングスター・ナンバー1」鑑賞以来、フレディ・メイズにクビったけの私。
活字でのフレディはどんな描写がされてるかが気になったので、読んでみました。
こちらは原作本ではなくて、映画を起こしたノベライズ。
セリフや小物に至るまで映画のシーンが進むとおりに律儀に再現されただけのものでした。
「だけのもの」ですけど、これはこれで読むたびにパーっと脳裏に映像が浮かんで、とても楽しかったです。
映画のキャラクターに血肉をつけるちょっとした描写が加わってたりしないかなぁ…と思って注意深く読みましたが、そういうものもあまり無い。
でも、映画では読み取れなかった細かい設定はわりと書いてあった。
フレディが襲われたキャンディラブラという高級レストランは、フレディのシマの外にある店で、婚約のお祝いのディナーを食べに行くためにカレンと「2人だけ」で安心しきって出かけた、ってのとか、生き残ったカレンがフレディの右腕だったトミーという老人の養子になっていたことだとかetc.
小物に関する描写も妄想のよすがになるから欠かせないです。
時代が代わってもギャングがアストン・マーチン(フレディが乗ってた車ね)に乗っていることとか、出所後のフレディが着てたコートがアクアスキュータムだとか。←これ、映画でチラッと見たときバーバリーだと思ったんです。似てるけどこの二つのブランドってイメージ違うじゃん?アクアのほうが納得、という気はする。
まぁ、そういった些末なこともいろいろ考えるのは愉しい。


ノベライズを読んで一番収穫だったのは、ギャングのモノローグの中に、確実に”ある方向”を指し示す言葉があったことですかね。
なんだか収まりのよさを感じました。胸がスーッと楽になったような。やっぱり、そうだよねぇ…という。
つまり、ギャングが生涯最高の瞬間であったのが、”フレディにタイピンをもらった時”だったことや、最後の最後までフレディに対して「アンタは最高だ」以上の言葉をどうしてもどうしても、たとえモノローグでも言えないまま秘密を抱えて逝ったことなど、です。
「秘密」とはもちろんギャングのフレディに対する想いなんだけど…このラストシーン、100万回のアイラブユーを言っても足りない相手にそれでも無言で(ってか悪態つきまくって)対峙し続ける男の悲しい性(さが)や深い深い失意を感じて圧倒されます。
ああ…セツナイねぇぇ(涙)。
ギャングよ…キミはなんてヘタレなんだろう。
なんて悲しいんだろう。
救いようが無いダメな男。いじらしいよ。
ギャングは潜在意識の奥の奥まで「古い男」で、バリバリにホモフォビックなんです。
オカマが大嫌いで女っぽいのが大嫌いで「男であること」で自分のアイディンテティを保っているタイプ。
だから、自分がフレディに惚れたことを絶対に絶対に認められない。
自分にとって不条理な感情を意識の奥に押し込んで、いつも重苦しい気分でいる。
気が狂うまでそれを抱え続けてしまう。でもってとうとう墓場までそれを持っていっちゃう。
読んだらまた映画を繰り返し見たくなったんで、再度レンタルしてきちゃった。
もう何度も見てるのに(殺しのシーンは早送りだけどね!)、飽きないです。
サントラも欲しいなぁ。選曲も素晴らしいんだもん。



ギャングにとっては、この時が、生涯でもっとも幸福な時間だったのね。
うっとりとフレディの横顔に見とれるギャングがセツナイ。
恋する男の、一瞬の、永遠。だ。