「シャンドライの恋」原作を読んでみた

昨日のエントリに書いた「シャンドライの恋」ですが、結局何を言いたいのかわからない文章になってしまってますね(汗)。
どうにも印象が茫洋としていて、言葉を尽くして言い表そうとするほどワケがわからなくなる。
収まりの悪い気分に耐えられなかったので、ちょっと視点を変えて、原作を読んでみることにしました。
言語化できない部分を、(あらかじめ)言語化されたものではどう表現されているのか、は大いに興味のあるところです。
映画と小説とは別物、とわかっているけれども、結局のところ元はどういう話だったのかというのを知るだけでも、自分を納得させられることができそうに思って。


映画では何度見てもよくわからなかったシャンドライの心の動きが、ジェイムズ・ラスダンの書いた原作「Besieged」では、「そうでしょう、そうでしょう」という共感を持ってしっかり理解できるほど、明確に描写されていました。それも、とてもクールな文章で。
面白い短編でしたよ。
映画ではお人形みたいだったシャンドライが、原作では感情のほとばしるさまがよくわかる活き活きとした生身の女性で、安心しました。
原作のシャンドライはもっとずっとしたたかです。
キンスキーのやってることに威圧感と苛立ちとを感じつつもトキメイている。
4年も音信不通の夫が今更戻ってきても息苦しいことだなどと感じていて、でもそう感じる自分に罪悪感はある。
反面、キンスキーの絶え間ない求愛に、恐れながらも興奮していて、そんな自分に戸惑ってもいる。
私が一番ポイントだと感じたのは、映画のシャンドライは故郷に対しての郷愁が強くて、西洋人とは全く異なる社会に生きている人、という頑なな感じがあり、あまりにも共通点の無いこの子のどこにキンスキーが惹かれたのかもそもそもわからない状態だったのですが、原作ではシャンドライは国籍を感じさせない(ひたすら隠しているほど)帰属意識の低いインターナショナルなイメージがあったことです。
キンスキーとの距離は(映画版より)格段に近いのを感じました。ああ、これなら恋が芽生えるのもわかる、と。
そこが一番、納得した部分、だったかもしれない。
ピアノの音も、「有無を言わさぬ誘惑の儀式」であり、「回顧と欲情がこめられた秘密の言葉」として自分を包んでいるのを彼女はわかっている。
「あなたの音楽がわからない!」とは、原作の彼女は絶対に言わない。
わかってる。しかも本能レベルで。楽しんでもいる。
小説ではテーマが圧倒的に性的なものです。アイラブユーの手紙の甘ったるいシークエンスなども存在しません。


ということで、シャンドライのキャラをわけわからなくしていたのはベルトリッチだったということが判明(笑)。
ベルトリッチってさー女性を理想化しているのかもな。「おぼこ」な感じに。オンナノコは可愛くなきゃ、ってか。


2人が寝たのかどうかも映画ではよくわからない(ってか私にはピンと来ない)描写になっていましたが、原作ではバッチリです。
その行為の描写も、実に納得のいくものでした。
シャンドライがベッドにもぐりこんできたとき、キンスキーは呆然としたままシャンドライにされるがままになるのです(ちなみに酔ってません。フツーに寝てたのを起こされただけ)。
自分にまたがって、腰を振って、のけぞる彼女を、「ちょっとでも動けば彼女は消えてしまう」とでも思っているかのように、微動だにせず身を任せるの。
でもね、それから数時間後(動いても彼女は消えない、と確信した後)には、キンスキーは”彼女の声が屋敷じゅうに響き渡るような行為”をするんですよ。ひー。
私はもうこのたった2行の描写でキンスキー最高!と思ってしまったね。ぜひそこを演じるシューリスを見てみたかった(爆)。


蛇足ですが、原作では主人公の名前は「マリエッタ」です。マリエッタの出身は南米で、物語の舞台は英国です。
映画のほうは出身地がアフリカで舞台はイタリアですから、いろんな部分が違いますね。
まず、映画では「双方が異邦人」でしたが、原作ではキンスキーは伝統と歴史の上に威圧感を持って立つような黴臭い存在であり、あまり心細い存在という感じはありません。マリエッタも、「こんな資本家階級はクソだ。遊んで暮らしやがって」くらいに思ってる(原作のマリエッタは政治亡命者なので威勢がいいんですよ)。
流れる音楽もおのずと違う。たぶん原作ではピアソラみたいな音楽が流れているのだと思う。曇ったイギリスの空の下で。
陽光の溢れるイタリアの空の下にアフリカンミュージックが流れるのとはまたちょっと、その官能の種類も違うように思います。
映画と原作を比較するのは映画を語る時には意味のないことだし、「違うからどうだ?」ってのはもうどうでもいいことなんですけど、原作を読んだことでモヤモヤ感は取れました。
原作は映画と同じところで終わっていますが、あとがきで訳者の岡山徹さんは、「映画もここで終わっては何もならない」とがっかりされておりました。
地下室で夫と暮らしながらも、音楽室でキンスキーともズルズルと関係を持つという不埒な関係から来る葛藤を映画では描いてくれると思ったのに!などとおっしゃってます。なかなかの妄想族だとお見受けしました(ステキです(笑))。


オマケ:アタシの一番好きなシーン@中庭でジャグリングのデビシュー。
器用な手つきとクルクル変わる表情に惚れ惚れする〜。



ジャグリングしながら林檎かじってます!
授業中に林檎かじってたルーピン先生をつい思い出してしまいました。
林檎かじるシーンばっかりかシューリスw