ふわふわと、想う人

こんなクソ忙しい時に、またもや某所に落ちてます。ホグワーツのあたりです(ハリポタですよ)。
この世にはなんて落とし穴が多いのでしょうか!おちおち歩けやしないでないの。
ちょっと歩くだけでズッポズッポ落とし穴に落ちまくりの私は、もはや「道を歩く人」になるのを諦めた方が早いんではないか?って気にもなる(弱気)。
って、へへへ。ホントは嬉しくってたまんないんですけどね。だって、恋する気持ちはシアワセだもの〜。
でも、相手は物語の中の人です。架空!
したがって恋心は自家製造です。妄想、妄想、妄想。
多少の描写はあれど現物はどこにもいません。私の心の中で「彼」はどんどん作られてゆきます。
この楽しさったら!
やはり「萌え」は物語にあり、ですね。私ってこういうトコ、究極のヲタクだと思うわ。


落ちてる先はリーマス・ルーピンです。
私が最初に彼を好きになったのは3巻の「アズカバン」から。でも、その時はルーピン先生としての彼が(普通に)好きでした。
底知れない深い悲しみを持っているのに、いつも穏やかに微笑んでいるところが胸にキてね。(映画で最初に登場するシーンもグッともってかれちゃったね。頼もしくってカッコイイんだこれが!)
以降はルーピン先生が出てくるたびに胸ときめかせていましたが、若き日の描写が出てからは、そちらに想いを馳せるようになりました。
ホグワーツの教室を歩いている姿を思い描くだけで、学生時代の彼が図書館の陽だまりに佇んでいるのを想像するだけで、私の脳内には果てない物語が始まる。
鳶色の髪、優しい物腰、淋しげな横顔、満月の秘密…
ああ、いいなぁ。
こんなにも自分の中で”動かしたい人”を生んでくれるローリング女史ってなんてスゴイんだろうと思うね。(もちろんロンハーもね!こっちは永遠のカップリングじゃ。)
ハリポタの世界の精緻な完璧さはもちろんですが、そこに親世代の話を入れた女史の感性ってのがまた、なんとも素晴らしい。それがあると、物語の幅がものすごく広がるのだもの。
キャラの置き方も完璧。みんなが何に夢中になるかを熟知しているね。こういう勘所の良さってのが凄いわ。


親世代の若者たちは、ハリーたちの仲間とは違う魅力に満ちてる。
キラキラと眩しくて愉快で快活で複雑でセンシティブで、やがてくる重い運命を背負っている若者たち。
読者は、彼らがその後どうなるのかをしっているからこそ、その青春時代がたまらなく胸に迫る。
人物はもれなく魅力的。
陽光溢れる青春時代にも陰湿な部分がチラチラみえているのも単純じゃなくてイイんですよね。
残酷な若者の空気は優等生すぎるハリーの世代には伺えない暗部だけれど、だからこそ魅力がある。
成績優秀で活発なジェームス、やんちゃで格好いいシリウス、監督生で優しいリーマス、気の弱いピーター。
4人の親友に対して、神経質で陰のあるセブルスが対峙している。そして優等生で頑張り屋のリリー。
輝かしい青春をおくった彼らが、やがて反転して暗く陰湿な恐怖の世界に飲み込まれてゆくという展開もすごい。児童文学とは思えない容赦なさ。大人が読んでもとことん愉しめる。


彼らの関係性の中に、私のリーマスへの想いも存在している。
彼らがいなかったら、きっとこの想いもないと思います。
ジェイムスがいて、シリウスがいて、みんながいるから、リーマスがいる。
物語とはそういうもので、人々の関係性そのもののこと(を「物語」と言うの)ではないかと思うくらいです。
読者の頭の中で彼らが関わり続ける限り、彼らの物語には終りがない。永遠に。
ローリング女史が書いた部分は少ないけれど、それは小さな入口の先に無限の世界が広がっているのを示す目印のようです。


というわけで、結局、二次的な楽しみ方ばっかりしてるんだよね、私ってば(あ、でもこれに関しては当然エロとかBLとか無しですよ!物語の基本線を超えない二次でないと楽しめません)。
以前もハリポタ二次モノにハマりまくった時期があって、いろいろ思うことがありましたが、なんも進歩ないですね(^^;;。
あー。バカバカ!こんなことしていないで、自分のオリジナルを書かなくちゃ。


というわけで単なる萌え語りでした。
とりあえず映画のリーマスを貼っておこう。



私の脳内リーマスは主に若き日の彼なのでこっちのルーピン先生とはちょっとイメージ違いますけど、このルーピン先生も大好きなのだよ。
ああ、それにしても、7巻読むのが怖いよ。
事故みたいにネタバレ(らしきもの)を目撃してしまったのでとても複雑な気分。ネットってそういうところがイヤだね。