かつて私がいた場所に似て

今、集英社文庫ナツイチ関連商品を買うともれなくもらえるナツイチストラップが欲しくて、ナツイチのラインナップを物色していた時に、びっくりする題名の本を見つけました。
これ↓

ワセダ三畳青春記 (集英社文庫)

ワセダ三畳青春記 (集英社文庫)

本の表紙にはこう書いてある。
早稲田大学門徒歩五分路地裏胡桃木古木造二階アパ野々村荘三帖」
なぜびっくりしたかと言うと、私も昔、早稲田の正門から歩いてすぐの路地裏の3畳アパートに住んでたことがあるんです。
え!もしかして同じ所?と思い、慌ててナナメ読みして場所を確かめたんだけど、どうもちょっと違う。そもそも建物の名前(仮名ではない様子)が違うし。
あの辺りにはどうせ似たような建物があったんだろうな。


ほんの8ヵ月ほどしか住んでいなかったけど、その場所にいたことは私にとって自慢の経験です。
でもって、どこか心の中で、いつかこういうのも物語のネタになるなぁーとか思っていたのね。
なので、この題名見た瞬間、私はネタを一個失った気がしたわけですよ。うわ、先越された!って。
ま、よく考えてみると自分の経験を題材に何か書くってことはまずないだろうと思うので、先越されるもなにもないわけですけどね。たとえ住んでた場所が同じでも経験は違うのだし。


この作者君は私と同じ歳。
で、「当時のバブル期にこんなトコ住んでるだけでスゴイ」みたいなことが書かれてるけど、それを言うなら私の方がスゴイやね。
だって私は女だし、しかも可愛いギャルで(ホントよw)、まだ19歳で、早稲田の学生でもなく明日をも知れぬ予備校生で、そのくせ勉強もせずにフラフラ東京中を徘徊してたのだから。
3畳間に住んでたって、男の子で、ちゃんと早稲田の学生で、熱心にサークル活動に燃えてる人なんて、全然マトモ。立派すぎるじゃん。
あ…もしかして、立派な青春を読む話だったのかな?
私はねー、若い時、きっとものすごい変わり者だったんですよ。
いつもみんなから変人呼ばわりされてたんだけど、当時はそれが不思議でしょうがなくて、どこもヘンじゃないのに〜と自分では思ってた。けど、今思うと見事に変人なんですよね。ああいう子、滅多にいない(笑)。
って…まぁ、マトモじゃない自慢したってしょうがないですけどね。


私の住んでいたところは雀荘の2階でした。
男女で別棟になっていて、大家は耳の遠い80歳越したおばあさんで、家賃は1万3千円。
あまり流行ってない雀荘で、人の出入りはそう多くなかったなぁ。
女棟は8部屋あって、住人は、私の知ってるだけで4人。
栃木から働きに出てきていついてしまったお婆さん、月に何日かだけ東京に来る会社員、中年のOLさん、モード学園に留学してきた20歳の中国人の女の子。
私は角部屋に住んでいて、窓をあけると、窓枠いっぱいに大隈講堂の時計盤の部分が見えた。
絶景、でした。
夏はそれが緑の木々に縁取られ、秋には銀杏の金色に縁取られる。
窓の下には張り出し屋根があって、そこではいつもノラ猫が気持ち良さそうに日向ぼっこをしてました。
部屋の扉は襖(ふすま)です。鍵は南京錠。すごいでしょ。座敷牢か、っつー(笑)。
私は部屋の壁を全部英字新聞で埋めて、その上に、当時、めちゃくちゃ好きだったロバート・デ・ニーロの切り抜きをたくさん貼っていた。
ビデオなんてまだ学生が手に入れられる時代じゃないから*1、映画を見るのはいつも名画座
デニーロに逢えるのは、いつもスクリーンの中でした。今思えばその不自由さって、ロマンティックですね。


高田馬場には当時4館も名画座があったんですよ。
パール座、東映パレス、早稲田松竹、ACTミニシアター。
通いつめていたこれらの映画館も、今残ってるのは早稲田松竹だけかな?早稲田松竹もいろいろ紆余曲折があったみたいですが、今は元気みたいですね。映画ファンのチカラによる復活劇があったようです。スゴイね!
ACTは、ウワサによると今は郵便局員の着替え室になっているようです。あの小さなお座敷はそのままなんでしょうか?(ここはぺたんと座敷に座って見るタイプの極小映画館でした。受付からして「ここはトイレ(の個室)か?」と思うくらいの驚異的な狭さだった。)


私には信じられないくらいたくさんの時間があって、夢があって、未来があって、まだ知らないあらゆるところがあって、出会っていないいろんな人がいて…。
ハタからはきっとどん底に見えたんだろうけど(明日をも知れぬ浪人生ですからね)、当人はいつもワクワクしてて、ホントに楽しい日々でした。
両親は呆れながらもいつも助けてくれていたし*2、「こんな生活してて、可哀相に…」と言って泣いてくれるお節介で優しい友人もいたし、私のハチャメチャぶりをいつも面白がってくれる変人好きの彼氏もいた。
誰もが親切で、私は寂しい思いひとつしませんでした。
周りの人に見守られながら、自分勝手に生きられた19の私はとてもシアワセだったのです。


1冊の文庫本の題名から、いろんなことを思い出してしまいました(笑)。
あれからもう20年も経ってしまったけど、あの建物はまだあるのかなぁ…。もう、夢の中にしかないのかもしれないね。
確かめに行くのがちょっと怖かったりします。

*1:レンタルビデオ店というのもが出たての時代でした。レンタル料が1本1000円だったんですよ!ビデオソフトもべらぼうに高かった。私はどうしても部屋で映画が見たくて、この翌年ビデオデッキ買いましたけどね。

*2:最初は予備校指定の規則の厳しい賄い付きの女子寮に入れられたのです。でも、私はどうしてもそこがイヤで、2ヶ月で勝手に飛び出したの。夜逃げ。だから最初は夜逃げ用の緊急避難場所として、近くにあったその3帖間を選んだんですよ。一時避難に敷金礼金で散財するのはイヤだったから。両親は呆れていたけど、援助の額はずっと変えずに送ってくれました。