どこかにあるようでどこにもない場所。

前世なんて信じてないけど、でももし私に前世があるなら、きっとアメリカのネバダ州とかアリゾナ州あたりの乾いた町にいたような気がする。
そう思うくらい、あのあたりの風景には惹かれる。
実際行ってみたことはないんだけど、ものすごい引力を感じる。
私の魂が懐かしがっている、と思えるような。
いつか絶対行きたい場所。
でも、行くのが怖くて躊躇する場所、でもある。
行かなくてもきっと、いつまでも好きな風景、だったり。


私は、自分がアメリカのそんな南西部の町で生きていけるような気がしないし、現実的に、あの場所と私は、折り合わないと思う。
想像とは違い、心安らぐ場所であるはずがないだろうと。
憧れと現実は違う。
そんなことわかってる。
でもせめて憧れは憧れのままで夢のように心に住まわせておきたい。

AMERICAN ROAD STORY アメリカの魂にふれる旅

AMERICAN ROAD STORY アメリカの魂にふれる旅

  • 発売日: 2004/11/26
  • メディア: 単行本


これは私の夢の本。
マザー・ロードの逸話がいろいろ載っている。
この本のいいところは、(日本人たちが書いているのだけど)この道を語るのにありがちなステレオタイプな日本人的アプローチからちょっと離れて、「アメリカ人にとっての」歴史、文学、サブカルチャー、風土などの切り口から客観的に対象を眺めているところ。
そういった俯瞰的なディテールが、道の内包するイメージそのものを膨らます。
編者の東理夫をはじめ、片岡義男常盤新平青山南など「アメリカ」って言ったら即名前が浮かぶ80年代に好きだったコラムニストが参加しているのも楽しいです。


ふと、こんなことを書きたいと思ったのは、実は今日、珍しいものを見たからなのダ。
ウチの近所の回転寿司チェーン店の駐車場に、エアーストリームの幌型キャンピングカー(しかもオールド)が停まってたの!
これ、珍しいぞ。
東京辺りでお店(屋台?)のように使っているのを見たことはあるけれど、近所で見たのは初めてだ。
やっぱりそこだけ空気が異質だったね。
これは日本で走るクルマじゃないよねって感じ。浮きまくってる。
でも、一瞬、鄙びた国道がルート66に見えた気がした!心が躍った。


エアストリームの幌型キャンピングカー(の廃車)の画像は、昔、HPのバナーに使ったこともあったんですよ。
結局、妙な雰囲気のデキになっちゃったんでサイトに載せるには至らなかったんだけど。
ファイルを探したら残ってた。
それがこれ↓



なんか、コンセプトがわからんよね(笑)。
すっごいゴーストタウン化してそうなサイトに見えるし。
でも、ちょこっとライ・クーダーなんか聴こえてきそうじゃん?


憧れの場所はたくさんある。
パリにはいつか住んでみたいし、北京の隅々まで歩いてみたい。
NYでクリスマスを過ごすのも、バリのコテージに泊まるのも、台湾でお茶を飲むのも、ローマで休日を過ごすことも、死ぬまでにバチカンを見ることも、尽きせぬ夢だ。


けれど、行ってみたい街角も住んでみたい土地も、私には全て幻で終わるのだろうな、とも思う。
知らずに死ぬのだ、と。
それでも残念無念とも思わず、どこかノホホンとしていられるのは、もしかしたらまだ「そうでない」可能性もある、とどこかで思っているからだ。
全くありえない話ではないと。私には「いつか」という日が来るのだと。
これは大いなる幻影かもしれないけれど、人間ってのはそうやって可能性のあることに安心してあぐらをかくの。
たとえば、いつ終りが来たっておかしくないのに、明日もまだ生きているだろう、とは誰もがどこかで思っているのと同じように。
人は「可能性」というアヤフヤのなかで生きている。


若い頃は先の話しかしなかった。
いつかはああしたいこうしたい、将来私はこうありたい、と。
それだけで夜明けまで語り明かせたし、夢の話をしている時がいちばん楽しかった。
自分は何でもできるような気にさえなっていた。
いつから、先の話をするのが恥ずかしくなったんだろうなぁ。
もはやこんなトシになって、「いつかは」なんて話は格好が悪すぎる。
だから最近はめっきりそんな話をしなくなってしまったけれど…
それでも夢を失ったわけではない。
ただ、黙って、相変わらず夢を見ている。
そのうちに、「夢見ることそのもの」が人生だと思うようになった。
それも悪くないよね?