「日本の夜と霧」

日本の夜と霧 [DVD]

日本の夜と霧 [DVD]

  • 発売日: 2006/05/27
  • メディア: DVD

戦後の左翼学生運動のことをちょっと調べていて、その資料のつもりで[借りてみました。
今まで観たことのある大島渚の作品は好きじゃないものばかりだったし、これも資料的な好奇心はあれども映画として特に期待していたわけでもなかったんですが、思いがけずグイグイ引き込まれてじっくりと観てしまいました。面白かった!!
これ、奇妙でヘンな熱がこもった作品です。
全編がほとんど言葉の応酬(ディスカッション?)で綴られてゆくのですが、その手法(=圧倒的な言葉)が、1960年当時の、学生運動に身を投じている若者たちのリアリティのあるフォルムだとか匂いだとかを描くのにものすごく効果をあげているのですよね。
あの頃の若者って、「言葉(主に話し言葉)」でつながりあっていたというイメージがあります。
彼らは言葉により人を説得し、自分を動かし、社会を変えられると信じて、日々、議論、討論を繰り返し、ぶつかりあい、汚しあい、荒野に自分の旗を立て、国を憂いて血を流す。
こんな青春、不毛だなぁと思いながら、なぜかその有り様には惹かれるのです。
このような学生運動の時代に若者だったら、私はいったい何をしていただろう?


こちら↓は寮で勉強会をする学生たち。真ん中メガネが佐藤慶



私はこんな雰囲気に憧れる。
寮での自治、仲間との議論、たくさんの本、積み重なる会話、古い木の部屋の匂い…いいなぁ。
勉強して議論する学生、ってステキだ。
でも、こんな時代でも女は男にとって飾り物だし、どんなに意識が高くても、たとえ「同志」と呼ばれても、実際のところまともに相手にされていなかったんだという気がしてなりません。少なくともこの映画の中ではそうでしたし、今まで読んだ本の中でもそう感じることが多かった。
その反動がその後の連合赤軍の女性幹部の常軌を逸した行動の中にもあるように思うし、70年代のリブ活動の背中を押したのかもしれません。
私がこの時代に学生だったら、たぶんいちばん感じたであろうことが「女である自分」ってことのもどかしさとせつなさだったかもしれない、と、ふと思いました。
右だの左だのではなく、もっともっと根源的な闘争を自分の中だけで見たかもしれないなぁと。


この部屋の壁は落書きだらけで、「レーニンスターリン毛沢東」と書いてありました。
偉大なる活動家たち、ですかね。
でも、この中にスターリンが入ってるのはちょい違和感。(このストーリーの時代って、スターリン批判(1956年)より後だと思うんだけど)
ちなみに文化大革命(1966年)はまだちょっと先。
時代が代われば、偶像も堕ちる。
今はニューナショナリズムみたいなのがちょっと出てきてるように思うのですが、私は個人的に、左を語れない右とか右を語れない左は信用していません。グローバルに物事を見られない一面的な主義主張は、過ちを犯しやすい。
この映画の中で、
「信じるか否かというというのは「宗教」であって「政治」はそのように語るものではない。」
という名台詞がありますが、まさにそう思います。
そして、この時代の学生運動の実体がかぎりなく宗教に近いのではないか?という問いかけが、この映画のポイントだと思います。(しかもそれを発している大島は、1960年当時にこれを作っているわけで、その卓越した見識眼が凄い。後の世に振り返った総括ではないところがポイント)
党派幹部の滔々たる演説でフェードアウトしてゆくラストシーンにそれがよく表されています。この終わり方がまた良い。
政治を語りながら、その実体は宗教的な洗脳にさらされてゆくのかもしれない。
「革命」はある種の宗教かもしれないけれど、それ以上に政治でなければならなくて、そのためには学生の青臭いイデオロギーよりも労働者のリアルな要求の方がどうしたって現実的でしょう。日本の学生運動の限界を垣間見た気がしましたねぇ。


幹部学生の部屋で流れている曲は、案の定(笑)、ショスタコの5番。通称「革命」。
しかも、「ショスタコーヴィチ社会主義リアリズムの音楽における最高の成果だ」という解説つき。さすが、時代ですねぇ。
70年代終盤に「ショスタコーヴィチの証言」*1が出版されて、西側諸国で「ショスタコーヴィチは体制の犠牲者」とされるまでは、ショスさんは「社会主義の申し子、体制迎合作家」として認識されていましたが、実にその現場を見た、という感じがしました。
現在では「体制の犠牲者」という見方も違う、という認識が主流のようですし、私もそこは「どちらでもあるしどちらでもない」という認識でいます。時代に翻弄されながらも、自分の才知で泳ぎきった天才芸術家、ってのがホントなんじゃないっすかね。


大島渚の「リアリズム」は、時代の空気をそのまま後世に運んでくれているようで、秀逸だと思いました。
俳優が長台詞のたびにトチるんですが、そんなのもそのまま流しちゃってますからね。スーパーリアリズム(笑)。
映画的にはちょっと信じられないボロさですが、実際、当時の学生が議論する際、誰もが立て板に水の如く弁舌滑らかなわけないんだから、トチってこそホントだと思いますし。


佐藤慶渡辺文雄津川雅彦など、見知った俳優がすごく若いです。
監督の奥さん・小山明子も驚くほどキレイです(私にとって彼女はコメットさんのママ、なのですがw)。
津川雅彦は美男子ですねぇ!↓


夜中の3時に見終えて、それから慌ててベッドに入ったのですが、どうしてもショスタコの5番が聴きたくなっちゃって(普段、メジャーすぎるので一番聴かないのがコレなのに・・)、ついつい2度も聴いてしまい、朝になってしまいました(汗)。
「革命」が回るよグルグルと〜。

*1:今ではほぼ偽書だと確定しているようですが、この本で証言しているショスさんは、どう考えたってショスさんじゃないと思いますよ。あのヒトはあんな罵詈雑言を残すような意地の悪い人だとはどうしても思えないし、(家族の証言や数々の書簡から察しても)きちんと自分の人生と向き合っていた人で、いつも不安と不満と恐怖だけで生きてきたなんてわけないもの。体制批判のためにショスさんを利用するのはやめて欲しいものです。