ロバとニワトリとバイオリンと花嫁と月

さて、表題のキーワードで何を思い浮かべますか?
正解は、シャガール
昨日は地元の美術館で開催中の「シャガール、その愛のかけら」展に行ってきました。
以下、覚え書き。


今までシャガールの絵はどっちかというとニガテで、今日も本当はさして期待してなかったんですが、目からウロコでした。
私はシャガールに対して大いなる勘違いをしておりました。
つまり彼の独特のモチーフや印象的なあの色彩の意味を、取り違えていたのだと気づいたのです。
やっぱりきちんとホンモノの作品と同じ空間で時間をかけて向き合わなければわかりませんね、絵画は。


シャガールにとってロバとニワトリとバイオリンと花嫁と月というモチーフは、全て揃って「愛」の象徴なのだと、私は初めて気づいたのです。
すべてこれらは彼の人生に寄り添う愛しい者たち、なのです。
気づいた途端、心を揺さぶられるような切なさが溢れ、涙がポロポロと出てきてしまいました。
こんなに端的に愛の世界を描いた画家だったなんて、どうして今まできがつかなかったんだろう。


それでもシャガールの絵の中には哀しみが溢れている。
この人は自分の身の外側で起こる戦争や暴力や死や別れの悲しみを、すべて敏感にキャッチし、共に悲しんでしまうんですよね。
それと、自分自身も常に喪失の悲しみと共にある。
それゆえに自分の身の回りにある愛のモチーフで作品世界をがっちりガードしてサンクチュアリを作りあげる。
悲しみと対峙するために。
それらモチーフたちの儚い小ささがまた哀しいのです。
月の光のか弱さが、ロバとニワトリの愛らしさが、バイオリンの切ない響きが、花嫁の夢のような微笑みが…珠玉のように美しくて可愛らしくて(だからこそひときわに)とても哀しい。


シャガールは、今までに見たどの画家よりも、私自身に近い気がしました。その、世界を捉える感覚のようなものが。
身の回りの小さな愛しい者たちに囲まれて世界から切り離されていたいと思いながらも、そうできない。そんなところが。同じ弱さを抱えているような…
だからすごく良く「理解」できた気がします。
でも、好きな絵かどうかとなると、やはりあまり好きではないかもしれない。
存在の本質的な部分を描き出されると、どうしていいのかわからなくなる。とても消耗してしまう。見て涙が出ちゃうような絵は、部屋にはもちろん気持ちの中にも飾れないですよ…
美術の潮流を気にして、方法を模索して、実験的で、前衛的な「作られた」作品を見ているほうが、私は気が休まります。
もしかして、もっとトシを重ねたらそうは思わなくなるようにも思いますが…今はまだダメだなぁ。


この人の絵を見ていると、全てのものは「失われてゆく」のだと、どうしたって感じられる。
でも、傷ついてはいない。なぜなら愛に満たされているから。それでも悲しみは永遠に拭い去れない。
とても、せつない。
この人は、同じことを繰り返す毎日の習慣を何より愛した人かもしれない…と、ふと思いました。

この美術館はわが町の高台にあります。森の中の美術館なんですよ。
お気に入りの場所です。
今日は晴れて寒い日。でも、森の中を散策するのはとても気持ちが良かった。

こちらは、裏庭にあるオブジェ。
クレス・オルデンバーグの「中身に支えられたチューブ」(1985年/ブロンズ・鉄)という作品。
この北庭は、季節によって様々な顔を楽しめます。この庭自体が作品、ですね。


このシャガール展は4月8日まで開催中です。
チケットがハート型だったり、リーフレットがイラスト入りの可愛らしいものだったりと、美術館スタッフのアイディアと努力にも感動しました。
時間をかけて丁寧に作り上げられただけあって、素晴らしい企画展になってます。
でもって次回の企画展はシュルレアリスム展です。嬉しい♪