「私が独裁者?モーツァルトこそ!」チェリさんの毒舌

私は、チェリビダッケの演奏を、彼の忌み嫌った「録音媒体(=CD)」で何曲か聴いたことがあるだけです。
つまり、チェリさんの信念によれば、私にとってチェリさんは永遠に理解することのできない音楽家だといえるでしょう。(チェリビダッケは即時性をともなうナマの演奏を唯一の機会ととらえ、そこにおける体験こそが音楽そのものだと言い切っているため。録音などは音楽ではない、としている。その言に従えば、グールドなどは音楽家ではないということになる。)
個人的なシュミで言えばチェリさんの間延びして聴こえる演奏は苦手だし、たとえばクライバーアバドなど、チェリさんが罵詈雑言を浴びせている演奏家のせっかちな音楽がわりと好きだったりするのですが、語録はとても面白く読みました。意外と共感するところも多々ありました。
音楽が、時と場を共有したところで瞬時に消えてゆくものだというとらえ方には、どこか無限の美意識を感じるし、そういう感覚は実際あるなぁとも思うんですよね。でも、録音を否定されたら、私たちリスナーの存在もまたあらゆる点で否定されるわけで、そりゃあんまりだな、とも思うけどw。
極端な話、ヒマとカネのある人間しか音楽を「体験」できないのであれば、音楽とはいったいなんだろう?という話になるわけだ。
ま、隙だらけの言葉にマトモに反論するのも虚しいので、語録なんてものはネタとして聞くにとどめておいた方がよいですね。
録音に関してのチェリさん語録には
「髭を剃りながら”ハンス坊や”の口笛を吹くものは、ベートーヴェンのレコードをかけるものより、はるかに音楽と密接に結びついている」
という言葉もあります。これなどはいささかデキすぎだし、極端です。
そこまでの録音嫌い…と言うよりも、録音に血道をあげて商業的になってゆく(カラヤンに代表されるような)音楽業界全体に、そこまで腹をたてていたのだろう…という推察は、今では常識になっているようですね。
音楽というものにはいろんな存在の仕方があるし、正解はないわけだからいろんな信念があって当然です。
ただ、チェリさんもまた多くの人と同じように独善的なところが多くあったんだろうと感じます。
音楽を語りながら、結局は自分を語っているにすぎない。
それでも、演奏家にとってその自信は何よりも大事であるし、それを守り抜いた姿勢はやはりすごいなぁと思うわけです。
全身芸術家、ってやつですね。頑固ジジイだ。


それにしても、マーラーのどこがダメなのか詳しく聞いてみたいものですよ。どこかの本に書いてるかな?
マーラー音楽史のなかでもっとも痛ましい現象のひとつだ」
の言葉は、ちょっと気になる。野次馬根性で。
そういうものも「単なる好みの問題」と断言し擁護できるほど、私、マーラーのことを知らないんでね。チェリさんのマーラー観、ってのに興味があります。
とりあえずショスタコは言及されてなくてよかった。やっぱり好きな作曲家をケナされると、個人的な意見だと思ってもちょっと不貞腐れたくなっちゃうもんね。
ていうか、チェリさんのショスタコ音源、ちゃんと残されてますわなwもちろん本人の意思じゃないんだろうけど。ありがたいことです。



「読んだり書いたりすることのできる文盲ほど始末に負えないものはない。」
・・・セルジュ・チェリビダッケ


チェリさん語録のなかで、一番ギクッとした言葉。
これは批評家に対しての言葉なんですが、なんだか自分のことを言われているような気になります。