正夢の見た夢

新年の地元の古書市で何も掘り出し物が見つけられなくてがっかりしていたのですが、先日、ネットをウロウロしていたら思いがけず欲しかった本が安く出ているのを見つけて、即買いしてしまいました。
柳瀬正夢の画集です。



これ、古書店ではだいたい25000円くらいの相場なんですよ。それが5000円で入手できました。
5000円でも私にとっちゃ高いわけだけど、今買っておかないと、もう手に入れることはできないだろうな、と思って。
昭和23年刊の真理社のものです。
戦後まもなくの物資不足の中で刊行された貴重なもの。発行部数もそう多くは無い。
わら半紙でできた粗雑な本で、柳瀬が新聞や機関紙に書いた漫画が載っています。
漫画(風刺漫画)ゆえに尚更、この、わら半紙体裁はとても臨場感があっていい雰囲気です。
柳瀬の絵は床の間に飾られた絵ではなくて、労働者の手の中に抱かれていた絵なんですから。


柳瀬に関しては以前からちょこちょこと言及しているのですが、私のとても好きな画家です。
とにかく巧い。
それに、当時あれだけ新しいことをしていたヒトはいないでしょう。カッコイイんです!
柳瀬を「左翼画家」「プロレタリア漫画家」とカテゴライズして評価してしまうのはあまりにも単純なように思います。
その才能が生かされた場の思想背景がどうあれ、その技術・感性は疑いなく素晴らしいものなので。
私はむしろ柳瀬の思想的な部分は案外底が浅いと思っているし、時代の雰囲気に流されていたのでは?と思われる部分も散見されるので、思想的な背景は(もちろんそれは確実に深く存在するのですが)消極的にしかとらえないようにしています。私の好きなのは、画家としての柳瀬正夢だから、というのももちろんあるけど。
政治的思想的「信念」というよりも、その時その場で自分を生かすにはそこが最適であった、という理由で自分の「場」を選んだのかもしれない、とも思っていて、その部分ではショスタコーヴィチの置かれた状況にも通じるような気がします。
とにかく、生きていた時代が時代だったんですから、汲むべきところは大きいと思いますね。
ショスタコーヴィチも柳瀬も複雑な歴史のハザマで生まれ、その歴史背景があったからこそ芸術家としても独特な方向に「こなれて」いったのだと思いますが、基本的には彼らは生まれながらのクリエイターだと私は思っています。きっとどんな時代に生きていても、いずれは芸術家として世に出た人だと。
何かの思想の旗手だとか「体制の犠牲者」みたいな捉え方は、個人的には、したくない。
純粋に、ショスタコの音楽は素晴らしいし、柳瀬の絵は巧い。
何度も何度も触れたい、と思う。
触れる時、心が震える。
それが私にとっては、すべてです。


画集の中にこんな絵がありました



人民が、掲げられたソヴィエトのシンボル(鎌とハンマー)の上で輝いている。革命後10年目の理想に輝くソヴィエトの姿。
鎌は農民を、ハンマーは工場労働者を表しています。
このシンボルを見た当時の柳瀬が、どれほど胸打ち震わせたろうと思うと、せつない気持ちになります。ものすごい憧れたろうなぁ。
だって、カッコイイもんね。
しょせんそこにも全体主義が待っているだけだったわけですが、この時点では、これは理想の国の姿だったのです。
全体主義の造形ってのは、美しいんですよね。
美しさで人心を掌握するという機能を持たされているんだから必然的に美しい。
ナチスの造形芸術も、毛沢東を讃える人民絵画も、スターリン政権下のマスゲームも、息を呑むほど美しいのです。
なので、誰かさんの口癖、「美しい国」なんて言葉が胡散臭いのはもうデフォです。
歴史が何度も証明している。今さらそんな言葉に騙されているようじゃ衆愚にもほどがある、ってもんです。
美しさは個々人の中からしか生まれえません。きっと。