パパ、ショスタコーヴィチ!


ショスタコーヴィチの二人の子どもたち、ガリーナとマキシムが語る、ショスタコーヴィチの思い出です。
子どもにしかわからないパパの姿が、生き生きと語られていて、すごく新鮮なんですよ。
評伝を書く人とは視点が違うので面白いです。
エピソードの羅列に始終するのですが、それがなんとも言えない鮮明さを持って一人の人物を浮き上がらせます。
こういうのを読むと、人の輪郭というのはエピソードの集積によって形づくられているのではないかと思いますね。
その一つ一つの事柄に、一つとしてショスタコーヴィチらしからぬものが無いのです。
全くもって、すべて整合性を持ってきれいにショスさんそのものだなぁという気がするから不思議なものです(それは要するに人がエピソードを生み出すのではなく、エピソードが人を形作るものだからでしょう)。


早起きしてみんなをたたき起こし、ラジオ体操をさせるパパ。
毎朝自分の手洗いの水を汲みに井戸に行き、見た試合を全部覚えてるほどのサッカー・マニアで、ヘビースモーカーなのに灰皿に2本吸殻が溜まっただけで捨てに行くキレイ好き。娘の誕生パーティーでは嬉々としてピアノを弾き、騒々しい家庭の中でピアノに触れることも無く平然と交響曲を書き、心配性で、せっかちで、整理魔で、友人思いで、怒ることなく、時に冗談を言い、子どもの前で2回だけ涙を見せた*1パパ・ドミトリー。


子どもに自転車の乗り方を教える時に、曲がり角で「曲がる方向に腕を曲げるんだよ」と教えてみせるエピでは、その姿を想像して思わず笑ってしまいました。
生真面目な顔をして、自転車に乗りながら右折のサインする人っているよねw
ショスさんも、真剣にそれを子どもたちに教えたんですね。
子どもたちが事故に遭うのがとにかく心配で、いつも気にしてたというショスさんらしい親心です。
たくさんのこまかなエピソードが、いかに彼が子どもたちを愛しく思っていたかを物語っています。
なんだかしまいには泣けてきます。
パパというのは、いいものだなぁ(涙)。
惚れっぽかったようだし、旦那としてはイマイチっぽい人ですが(笑)、パパとしてはとてもステキな人です。
男の人は父性と優しさを持っている人が何よりもいちばんだと私は思っているので、これを読んで、ますますショスさんが好きになりましたよ。
エピからはショスタコーヴィチだけでなく、当時彼らの周りにいた人々の息吹きも伺えます。
芸術家村にいた頃、ガリーナとマキシムたちが大声で遊んでいると、近所に住んでたプロコフィエフが窓を開けては「うるさーーい!」と怒鳴って、時には文鎮(!)が飛んできた…なんていう話は、なんだか容易に想像できて可笑しいです。
プロコフィエフ、やっぱキレキャラかwみたいな。
それはそうと、プロコフィエフスターリンと同じ日に亡くなったってのは初めて知りました。
ショスタコーヴィチはそれでもプロコフィエフの通夜に行ったようですね。

*1:妻が病気で急死した時と、共産党に入党させられた時だそうです。奇しくも今日12月4日が奥さんのニーナの亡くなった日でした。今、ナニゲに年譜を見てて気づきました。こういう偶然もまたつながっているんでしょうね。なにか、奥さんに「この人のことをもっとよく知ってやってくださいね」と言われたような気分になりましたよ。