お詫び

って誰にお詫びか?自分か?
えーと、非常に残念ですが、25日の阿嶽初来日ライブ、私は行けなくなりました。
皆さんのご報告をお待ちしております。


ただでさえ逃げ腰の私なので、今回は外堀から丁寧に埋めてゆき、退路を断ったつもりでしたが、やはり土壇場でこういう結果を出す羽目になりました。コレもひとえに私の不徳ゆえ。ご勘弁いただきたい。
ま、そもそも平日の夜に幼児抱えた地方在住の主婦が東京のライブに出かけられる可能性は五分五分です。
要するに自分以外の都合が影響し合いますからね。ま、そういう事情でこの日はちょっと調整が難しくなったのは本当です。
とはいえ、それこそ必死でライブに行きたければ、強引に修正できるユルイ調整難でもあります。
でも私はそこに甘んじることにしました。むしろホッとしながら。
万難を排してでもライヴに駆けつけないのが「ファン失格」なら、私はきっとそうなんでしょう。いいよ、もうそれで。
でも、私はあえてそうしたくなかったのです。それは私のメンタルな問題なのです。誰のせいでもない、環境のせいでもない。
ぶっちゃけ、用事が、とか時間が、とかそういう物理的な問題がクリアできれば喜んでその場に行くかといわれれば、やはりそうはいかない自分を感じます。
私は最初から、あまり気が進まなかったのです。
日本初ライブは、文句なく嬉しいです。阿嶽ファンの皆さんが喜ぶ顔を見るのもめちゃ嬉しいです。それは本当。
でも、そこに自分の存在を置くかどうかは別問題です。


ここで正直に告白しますが、私は阿嶽に会いたくないんです。きっと。たぶん。
それは阿嶽に興味なくなったからとか、好きじゃなくなったからとか、そういうことではありません。もちろん、クラに寝返ったからでもないよ。
8年の間、蓄積した何かがその行為を躊躇させるのです。
8年も会わずにいると、もう会えないんじゃないかと思います。
8年の夢の累積は、一晩ではどうにもならない圧倒的な世界を創り上げちゃってるわけです。
そういうことです。


今でもCDは発売日に買いますし、時々ファンレター出しますし、阿嶽は私の宝物です。誰になんといわれようとも。
私には私の愛し方があるだけです。
ライヴで電飾振らずとも、私は超級阿嶽迷です。
私が阿嶽に激惚れしたのは、阿嶽の退役後の起死回生を賭けたアルバムでした。「這個下午很無聊」。
そこで阿嶽は自作の曲を、独りでギターを弾き、ベースを弾き、ドラムを叩き、キーボードを奏で、歌ってました。
完全なる自作自演の世界でした。ステージでは絶対に再現できない、ドリームワールドですな。
「ミュージシャンはライヴが命」という言葉は、ある意味正しく、ある意味違います。
音楽は、「生」では再現できないものも存在し、そこに真価が発見されるコトだってあります。*1
私は、孤独な作業の中からああした音楽を作ってゆく阿嶽がとても好きです。MC熱狗と絡んで、駄曲歌ってる阿嶽には、別に興味ないんですよね。
なので、もともと「ライヴ見たい」という欲求が希薄なんだというのもあるでしょう。


それでもステージを観るだけ、ならば私は行ったかもしれません。
何やかや言っても、一度は観たいもんね。
でも、今回はライブハウスで、個人的にコミュニケーションが取れるかも、というのがあるわけで…それはもう、私にとっては目眩がするほど深刻な事態なわけです。


ライヴどころじゃねぇっつーの。


ステージ観てる間だって、絶対、音楽なんか耳に入らないよ、出待ちのこと考えたらさ。
どんな顔して会ったらいいの?
ナニ話せばいいの?
北京語、もうずいぶんわかんなくなっちゃってるし…英語で話すしかないか。うわー、英語もろくに話せんよ…。
つか、「なんだこのオバサン?」と思われたらどうしよう。
どんな服着てこう?
それよか何か差し入れを持っていかなくては。何がいいんだろう?
てか、やっぱ差し入れよりなによりエステ行かなくては!
握手するかもしれないから、爪も!ネイルの予約入れなくては。
てか、カネないし!
ああ、どうしよう!!右往左往。


大パニック!!!


その昔、阿嶽は私をファンとしてとても大事にしてくれました。ファンでいることをとても喜んでくれてました。
会った事はなくても、手紙やメールやサイトを通じて、私は阿嶽に語りかけることができた。
私のことをTVで話してくれたこともあった。「彼女は凄いんだぜ」って。
それは今でも私の心の大事な大事なお宝です。
今でもその録画だのもらった手紙などを見ると、私と阿嶽だけに通じる魂の交流(謎)がある気がします…って、ああ、ごめんなさいね、妄想ですよ。勝手に言わせておいてくださいな。
でもそれはもう、ずーーっと前の話です。セピア化した記憶ですよ。
阿嶽はとうに忘れているかもしれない。
っていうか、むしろそんな昔のことを覚えている方がマレで、普通は忘れているってのが順当なものです、人間だもの。
もし会って「アンタ誰?」な扱いされたらどうします?
そんなことになったら、私はショックで絶対立ち直れません。思い出まで無くなりそうですよ。
順当な人間として過去のことをフツーに忘れている阿嶽に会ったら、きっと、私は傷つき、阿嶽にがっかりし、お宝も色あせ、散々な結果になることでしょう。
ファンとは不条理なものです。妄想など、自然界の条理には適わないんですよ。
それを思うと、とてもじゃないけど会えません。会うのが怖いの。ヘタレですよ、どうせ。


それでも私は何度も悩みました。
タロット占い*2までして(!)、「行くべきか、行かざるべきか」と、煩悶すること3週間。
ほとほと疲れ果てました。
それでも、行きたい気持ちと、行きたくない気持ちの均衡がぶれることが無かったんです。どうしたらいいのかわからなかった。
「細かいことは気にせずに、気楽に会っておいでよ」と背中を押してくれる友人もいました。
けれど、どうしても気楽にはなれなかった。
別に阿嶽に恋しているわけでもなんでもないのに、気楽になれないのは、自分可愛さゆえなのです。
私はいつでも自分が可愛い。可愛い自分を守りたい。
ワン・オブ・ゼムのファンである自分を目の当たりにするのはイヤ。

ちょうどそんな折に、ライヴ当日に用事ができました。
それはもう、もはや「渡りに船」だったかもしれません。そこに流されることで、私はかろうじて救われました。
もはやこれは天啓です。
「お前、やめとけ。」と、神様が言いました。なのでやめときます。
煩悶の記念にこんなことを書き残しておくのもいいかな、と思い、気持ちの経緯を書いてみた次第。
次回がもしあるのなら、その時はまた考えが変わっているかもしれませんし、こんなアホな煩悶もいい思い出になるかもしれません。
とりあえず、コレが今の気持ち。


整理番号1番のチケットは、私の手元にずっと残っていることでしょう。


これが私の立場そのもの、って感じです。
実質がともなわない、そこにはなにもない、つまらないプライドだけの「1番」です。
でも、私の8年分の想いがここにある。それは誰にもわからない。


ま、こういう面倒くさいファンもいるってことで、どうかひとつ。
阿嶽ファンの皆さん、楽しんで来てね。
でもって、詳細を教えてくださいな。よろしくです。
そういうのはとっても聞きたいのよぅ!私はみなさんのお話を聞くだけで、本当に満足なのですよ、信じられないでしょうけど。
私は次のアルバムを楽しみに待とうと思います。
今までずっと、そうだったようにね。いつもと同じ場所で。

*1:私が好きなウタダヒカル嬢もそうです。ライヴなんかは行きたくもないです。だってCDで惚れた音(これまた多くは自作自演です)はライヴにはイチミリもないからです。

*2:っても、ネットにある無料タロット占いですけどね。それでもこういうときって、不思議とタロットまで「コレ!」という答えを出してくれないのですよね。曖昧な回答ばかり。心の迷いがそのままカードに出るんだろうかね。