ボロクラ加速中。

注:ボロクラ=ボロージャにクラクラ、の略です。
「Vladimir ASHKENAZY」(名前が小文字で姓が大文字なのは間違いじゃなくって、こういう題名)というビデオを見ました。
これももう廃盤なので米国アマゾンの中古で購入。製作監督はデッカのマネージャー、ジャスパー・パロットです。


主な内容は、1990年代のロシア、スイス、スウェーデン、ドイツでの演奏会及びリハーサルのもように、ドディとの様子、自宅でのインタビュー、対談、ピアノを弾く姿、デビュー当時の映像・・・などが織り込まれております。メインはモスクワに戻っての演奏会のドキュメントですかね(ロシア語しゃべってるマエストロがなんだかとても新鮮だー)。
このジャケ写・・・イマイチだと思うんですよ・・・。アシュケナージぽくない気がして。無理矢理愛想良くしなくていいのに・・みたいな。


全般的に方向性として「指揮者・アシュケナージ(しかも巨匠)」という扱い方です。
もうちょっとピアニストとして扱われていた方が私は見たい・・・という感じはしますが、いいです見られればもうなんでも。
いつもながら彼の指揮姿はなんとなく見てて気恥ずかしい(&ハラハラする)んですが、どうしたもんでしょうか。
なんというか・・・動きが。
もうめちゃくちゃ動いてるもんね。指揮棒、ヘンなところに刺しそうな勢いで。
で、熱くなればなるほどなんとなーくオケとの距離が広がっていくように思えるのもビミョー。
そうかと思えばすごく自信無さそうに指揮したりもするんですよね(特にソリストいると顕著)。自分がソリストやった時の経験で、たぶんあまり介入したくないんだろうとは思いますが、どうも遠慮が見えます。
指揮の上手い下手なんて私にはわからないですが、オケの人たちとの間に流れる空気というのはなんとなくわかるわけで・・・それを見るだに、指揮者としての彼がクラヲタからは軽く見られがちだというのもなんとなく頷けたりします。
指揮者としての威厳が足らない、と言ってしまえばそれまでですが・・・そういうことなのかな、と。
でも、きっと彼は指揮者の威厳なんてものは一生持てないんじゃないかと思うんですよ。そこが逆に強みなんじゃないかなーとも(指揮者として未熟な部分があるとしたらそれとはまた別問題ですよ、もちろん)。


で、やはり個人的に一番の見どころは、若い頃の映像です。
私の頭の中を瞬時に一面のお花畑へと変えてくれたシーンをいくつか載せてみます。
皆さんの頭にもお花が咲くかもしれませんよ。ふふっ。(・・・て、そんなわけないですね。ごめんなさい、壊れてます)


まずは1962年のチャイコフスキーコンクールの時の映像。

以前ここで見たものとは逆の側から写しておりまして、新鮮でした。
左側から見ると、なぜか別人です。
こうやって新しい表情を見つけてはトキメいてしまうなぁ。
演奏しているのはチャイコPC1番の冒頭部です。最高。ボロージャの演奏に陶然と聴き入るギレリスが写ってたりもします。その顔には「惚れた!」と書いてある(ように見える)。


その時の演奏後のボロージャ君。

こんなポヤ〜ンとした頼りなさそな青年があんなスゴイ演奏したのか!というギャップがまた、たまりません。
ぼっさぼさの髪型もイイ!
やっぱこのコンクールの時のボロージャがいちばんツボかも・・・。
弾き方も、イイんですよ。キッパリしたヴィルトゥジティがあって。最近のやわらかタッチとは違う意思的な何かがある気がする。


やたら昔ぽい写真もある。

妙に濃い顔・・・。
この鼻っ柱のデカさはどうでしょう。すっごくプライド高いんじゃないか?
手に持っているのはロイド眼鏡ですね。ぜひそれをかけているところが見たいです。漫画か?


でもって、私がいちばん好きなのがこれ。

新婚さんいらっしゃい!
ああぅぅ・・・メロメロ〜。
光溢れるお部屋で、愛する人と楽譜を読むボロージャ君。
ドディさんは寝起きでしょうか?お花はしおれているわけではなくて、ああいう生け方なんでしょうかね?
この画像、すごく好きです。二人の生活が垣間見られる気がする。いつも音楽のことばかり頭にある夫と、そのいい話し相手になってあげてる妻と。夫は楽譜に夢中。妻はちょっと眠い。それでも二人はこうして寄り添っているんですな。夫婦の原点だね。

ちなみにこのビデオの冒頭は現在の(初老の)ご夫妻が自宅付近で大型犬2匹と散歩する映像から始まってます。リハにも演奏会にもドディの姿があります。ボロージャを語る時にドディの存在は不可欠だと誰もが思う結果の編集なんだろなぁ〜と思いますよ。(もしくはボロージャがごっつ恐妻家で編集に指示入れてるか)


もっとあるんですけど、とりあえずこのくらいにしておきます。きりがないので・・・(^^;;。
何が楽しくて古い映像ばかり探してるかといえば、そりゃアナタ、私は20代のボロージャ君に恋をしているからです。
よく考えるとそれって、私がイヤだなぁ〜と常日頃思っている「若いオトコに惚れてミもフタもなく追っかけてる年増ヲバ」の図・・・なんじゃまいか?・・・とも思いましたが、たぶんちょっと違います。
えーと、つまり私は、ボロージャ本人に執着しているというよりも、彼の存在に「恋の気持ちを喚起させる物語を見て取って萌えている」わけです。そこにはドディがいないとダメだし、なぜかパールマンバレンボイムもいなきゃダメなの。上手く言えないのだけど(笑)。
まぁ、一口に恋といってもいろいろあるわけで・・・。
ボロージャは私にとって「物語」なのです。おお!そうです、「物語」。これでしっくり説明できた気がする!
それに実際のボロージャ君はこれ↓ですからね。

来年、古希なんですよ(哀)。
アタシの父親より年上だ。・・・それもどうかと思うよ、対象としては。
というわけで、ボロージャ萌えは基軸をどのあたりに置いたらいいのかがわからず、時として混乱に陥ります。ものすごい架空の存在に架空の想いを託している自覚はちょっとある。
その妙な「距離のとれなさ加減」を払拭してくれる唯一の「リアル」が彼の音、なのかもしれないです。
たぶん、指揮だけ見てても古希のボロージャしか見えないような気がするんですよね(今の段階の私には)。なので、「とにかくピアノ弾いてくれ・・・頼むから。」という心境が深くなる一方ではあります。
ま、指揮だけでも見たいんだけどさ(←なし崩し)。
・・・と、わけわからなくなってきたところで終わりにしとこう(汗)。


明日も続きます(爆)。