亡命前夜。決意のステージ。

こう見えてもアシュケナージにハマってたかだか2ヶ月の私とは違い、ウチの旦那はずっと前からアシュケナージの音源をいろいろと聴いていて、作品に関してはわりと詳しいのです。うっかりしてましたが(笑)。
その旦那に、「アシュケナージ好きなんだったら、これは絶対聴くべきだよ。」と言われていたCDが、アシュケナージ、ロシアでの最後のコンサート1963」(英題:Vladimir Ashkenazy: Beethoven-sonataNo.18,Op.31 No.3/Chopin-Four Ballades/Debussy-L'isle joyeuse,Serenade interrompue,Clair de lune)です。
収録曲は英題に全て明記してあるとおりです(笑)。
キングレコードから輸入販売されていたようですが、今は絶版のようです。
一部ではかなり入手困難との情報がありますが私は図書館で借りました。こういった資料性の高い音源は図書館を捜してみると案外あったりするかもしれません。
薦められたときは特に興味もなかったのでスルーしていたのですが、最近のこの激惚れの勢いでやっと聴いてみる気になりました。
これはいわゆる「名盤」というのとは一味違った「いわくつき盤」とでも言っていいような録音なんですよ。なんか、気軽に聴くような気分にはなれなくて、ちょっと身構えちゃうような背景があるのです。


録音は、1963年の6月9日。つまり、43年前の…え…?ちょうど今日の日だ(驚愕)!
うわ。偶然。今、ライナーノーツ見ながらこれ書いててビックリしちゃった。
あちゃー。呼ばれてるんかなアタシ(汗)。
ま、ともかく、この音源は、43年前のアシュケナージソ連における最後の音楽会の録音なのです。
これが最後の演奏会になるなどと知っているのはたぶんアシュケナージとドディだけ、てな状態だったことでしょう。
観客も親も友達も政府関係者も、誰もそんなことは想像してもいない。いつものような演奏会だと思っていたはずです。
でも、彼の意識はきっといつもとは全然違っていたはず。
誰にも明かすことのできない密かで重大な決意を胸に秘め、何食わぬ様子でステージに向かっても、そこには隠せない熱とか興奮とか不安が絶えず湧き出ていたことでしょう。そういった内的な情動が、この演奏には如実に出ているように思うのですよ。


だって、とにかく凄い演奏なんだもの!
アルバムの由来を先に知ってしまってから聴いてるせいもあるでしょうが、そうでなくても尋常ならざる魂のこもり方してるのがわかるのですよ。音は悪いのですけど気持ちが伝わる演奏というかなぁ…。グッときちゃいます。
特にショパンのバラードは、もう絶品。
その後のアシュケナージには絶対に弾けないだろう(爆)、渾身のショパン
あまりにもせつなくて、涙がポロポロ出てきてしまいました。
ここで使われているのは「悲しいほどにお粗末」「西側の一流ホールでは想像もつかないようなボロボロ」のピアノであるにもかかわらず、アシュケナージ「敢然とそこに立ち向かって」弾ききっております。*1
ピアノが劣悪だから、細心の計算でもって弾いていると思うのですが、それがとてもせつなくてイイ感じを醸し出しているのですよね。
いじらしいよ…ボロージャ(涙)。
てか、こんなに情熱的なピアノが弾けるんじゃん!…みたいな。


幸せになったボロージャ君には、もうこんな音は出せないのかもしれないッスね。
そもそもこんなコンディションがひどいピアノを弾くこともないし、そこまで渾身の演奏をする環境にもない。
音楽は、彼にとってもはや「闘い」ではなく、権利を勝ち取る道具でもない。
かくして彼は、無難で優しげでまろやかで円満で平和で…でも、時折ちょっと物足りなかったりする音で歌うようになったのかもしれません。そう思うと、なんだかパンチが効いてないなぁ…と不満だったあの曲この曲も、なぜか愛らしく思えてきます(←ええ、贔屓目ですよ。ほっといてください(笑))。
人に歴史あり。ピアニストに道程あり。それもまたよし。とな。

*1:カギカッコ内はライナーノーツを書いた石井宏さんの文章からの抜粋です。このライナーノーツがまた、とても愛情溢れるステキな文章で、ジワーッと目頭が熱くなってしまうのです。