もうすぐ春なので、重いコート脱いでみる。

ちょっと前からCDの感想が書けなくなってしまってました。
音楽を語ること(とまではいかなくてもただ感想を言うだけのこと)に対してかなり凹んでいたからです。
私は、語れる言葉をまだろくに習得していない「初心者」で、クラシック音楽に関して知識がなく、感性も磨かれておらず、音の良し悪しもわからず、ウンチクも言えず、偏っていて、馬鹿で、マヌケで、お前なんかクラシック聴くなよ!みたいなろくでもないただのミーハーにすぎない という思いにとらわれているのです。
その反面、そんなことを気にする自分が嫌いでもある。
おかしいんじゃないの?>自分、と思う。
音楽なんてどう聴いたって勝手なのに、なにを卑屈になっているのだろう?と。
そういう自己の矛盾と対峙しなくちゃならないのもいちいち面倒なので、感想などと称してあれこれ言うのはヤメとこうと思ってたのです。
どのみち何を言おうが音楽の本質には関わりないことだし。
どうせそれだけなんだろ、と思われているのなら「キーシン萌え〜」って言ってたほうがラクだし。


凹んでいたのは、某クラシック系blogに等身大のCD感想を書いたところ見事にスルーされたのがきっかけです。
別に何言われたわけでもなく、たださりげなくスルーされただけ(相手にされてない、ということ)なんで、向こうに悪気はないのだろうけども、私は過剰に反応してしまったんですね。
そこは好きなサイトでしたが、その後、怖くて覗けなくなってしまいました。
このことは単なるきっかけにすぎません。
原因は私の中にある。
自分の中の「思い込み(上記赤文字で書いた部分のようなことども)」が、正直な気持ちを言うことを躊躇わせているのです。
それと、コンプレックスですね。カデンツァがどうこうとか、展開部がどうとか、何小節目のどこそこがどうこうとか…そういうこと言う知識がないことに対しての。
でもさー、そんな説明、シロウトのCD感想に要る?そんな解剖学みたいな感想、シロウト聴衆が言ってたら却って鬱陶しくない?つか、音楽ってそうやって聴くものなんですか?「あ、これ好き!」とか「ドキドキする」という感興をいちいち楽譜的視点で証明して見せなくちゃ説得力ないのかしら?んなわけないしー。
と、馬鹿のフリして逃げるこういう姿勢が我ながらイヤだと言っているんですよ(爆)。ホント言うと、こうしてちゃんと曲構成の部分まで分け入って鑑賞できる能力はうらやましいわけで。


とにかく、「初心者なのですが、」と前置きをしてからモノを語ることに対するストレスと自己嫌悪はいまや最高潮です。
そんな風に言わずにいられない自分も、そう言わざるを得ない雰囲気を醸し出してるクラヲタも嫌いです。
なに卑下してるんだよアタシ、と思ったら、自分までドン臭いイヤらしい人間に思えてくる。
とはいえ、「こちとらもう何十年も音楽ファンやってんだよ。ナメんなよなー」などとは間違っても言えないこの雰囲気(汗)。
なんだろう、この居心地の悪さは。
でもそれはどうしたって私自身が作っている壁でもあるよなぁと思うわけです。


こういった壁が見えてしまったわけなんですから、今度はその壁を破らないと快適に先に進めません。
なので、ちょっとしばらくのあいだ意識して自由に思ったこと書いてみようと思います。
とか言っても、きっと読んでる人には変化はわかんないと思いますが(^^;;。私の、向き合う姿勢の問題です。
好きなものを好きと言うのです。人の意見に振り回されず。
結局ね、人は、好きなように音楽を語るんですよ。自分勝手にね。
語る人が「正しく」って「わかっている」わけではないの全然。
クラヲタのウンチク語りには迫力負けすっかもしんないけど、それは別にホントに負けたわけではないからダイジョブ。
ただ語りたくて語っているだけの人に打ちのめされる必要など全く無いですし、自分もまた語りたければ語ればいいんです。


やっとこの世界の歩き方にもちょっと(ちょっとだけ)慣れてきて、分厚いコートを脱いで歩いてみよう、ってな気になってきました。
バカな思い込みはまだ心にわだかまっているけれど、それがくだらないことだということもだんだんわかってきましたし。
何か、ガチガチに武装しないと進めないと思った奥深い森が、ようやく軽装ででも歩けるんじゃないか?という感じに見えてきたのが、いい傾向だと我ながら思います。