追悼

浅い春の夕暮れ。
そのとき、窓の外に広がる薄闇の彼方に、ほんのりと明るい空色が滲んでいました。
街の灯がともり始める黄昏時の、独特の寂しさと穏やかさの中で
ふと、「この世はまさに仮の世界なのだ」という感覚がよぎりました。
人が生きるということは、束の間の光なのかもしれない。
私はショパンの3番ソナタを聴きながら、もう二度と逢うことができなくなってしまった人のことを思い
戻らないものの大きさを思い
叶わなくなった自分の夢を思いました。
いなくなって欲しくなかった人なのに、いざ、もうこの世にいないということになると、なんだかものすごくあっさりと納得できるような気がして、ちょっと驚きました。
それはたぶん、その人が私の夢や憧れを描いてくれていた人だったからでしょう。
もともと現実からとても遠かったのです。


昨日、久世光彦さんが逝去されたのを知りました。
久世さんは、私の尊敬する、大好きな演出家であり小説家でありエッセイストでした。
久世さんの作品であればどんな形態であっても、私は必ず拝見し、その都度心が満たされました。
いつか、久世さんにほめてもらえるような小説家になりたい、と小説家でもないのに思っていました。
それはたぶん、古きよき戦前の家庭のささやかな日常の空気感が、私にはちゃんとわかるんですよ…ということを、そういったところに美意識を置いておられた久世さんに一度でいいから伝えたかった気持ちの現れだと思います。
生まれた時代が違うのに、こんなにも「憧れ」を共有できた人はいなかった。
私の、心の友でした。


お会いしたのは一度だけ。
久世さんの講義を聴きに、青山にあるシナリオ学校に通っていた友人にくっついて、その日だけ「もぐり」の学生になったのです。
あの日の授業は忘れません。
久世さんはその時、ものすごく根本的な真理を…でも、それを言っちゃァおしまいよ、みたいなことを、言ったのです。
シナリオ学校で学んでモノを書こうという感性は、本来、作家とは一番遠いのだ、というようなことを。


私は久世さんがいなくなったらどうしようとずっと思ってて、久世さんの作品を見ると…というか、主にその文章を読むと、心が落ちつかなくなりました。
「私はここにいる」というのを、言いたくなって喉のあたりが乾くのです。
あなたの世界を、こんなに理解してる私がここにいるんですよ、というのを言いたくて。
けれど…


文芸は遠し山焼く火に育ち


ってなもんで。
寺山修司のこの句のように、それは遠い夕焼けの彼方にある手の届かない場所でした。
こんなに近いのに、こんなに遠い。
久世さんの作品に対する時にいつも思ったのはそんな感覚です。
私は静かに本を閉じ、「神田にある小さな出版社に勤める3人姉妹の次女」の気持ちで空想の中にひきこもるのです。
そこにはきっとユモレスクが流れている。濡れ縁のついた小さな中庭があって、廊下には琺瑯びきの洗面器があって、微かにエタノールの匂いがして…


さようなら。
誰よりも美しく戦前の日本を書いてくれた人。
きっと一生、大好きなままです。