「クロイツェルソナタ」を聴くとおかしな気分に陥るか?


トルストイの「クロイツェルソナタ」を読了。

クロイツェル・ソナタ/悪魔 (新潮文庫)

クロイツェル・ソナタ/悪魔 (新潮文庫)

内容がどうこうよりまず最初に思ったことは、(方法論的に)これは小説ではないよなぁ・・てこと。
たぶん切実なる意見書です。イデオロギーの啓蒙書かもしれない。御大の愚痴かも。懺悔かも。あ、それだ。懺悔。
でも私は元来、小説よりもこうした屁理屈文が大好物なので、とても楽しく(?)興味深く読みました。
何よりも、さすがトルストイですから論の展開にまったく破綻がありません。気持ちがいいほどに。
物語りとしては(主人公のような)こんな男は人として破綻してますので、共感を得るのはなかなか難儀なことでしょう。人気は出ないな。
読後、イヤ〜な気持ちになる人続出だったんじゃないの?
でも、ホントのところ、私はこの主人公の言うことには、いちいち納得できました。
納得できないのはその行動だけで、その心理、思考回路、すべて既知のものだったので。
とはいえ、もちろんその意見の信奉者というわけではありません。
当然人間が乗り越えなければならないものを、この人は何を大仰に騒ぎ立てているのだろう?という感じです。
トルストイがここで「愛」と呼ぶものは厳密にいってちっとも愛ではないのです。
(もちろんトルストイはそれを逆説的に利用してわざと混同させてこの小説を作り上げたのだとも言えますが)
「欲」を「愛」ととらえてしまうこと・・・この勘違いがすべて男女間の悲劇の温床なのは当然です。
でも、多分トルストイの悲劇は「欲」と「愛」との間にあるグレーゾーンであり、あらゆる芸術の原動力である「恋」を全く知らずにいたということかもしんない・・・と思ったり。

それにしてもロシア帝政末期の貴族社会の男性の放蕩ぶりは想像の外だわ。
トルストイも自分の放蕩経験から異様なまでの性忌避に陥ったのもわかる気がします。
極端から逆の極端に針が振れるのは道理でしょうな。呆れて物も言えません。これは天罰でしょう(笑)。
いくら改心したつもりでも、最初から最後まで女は「モノ」扱い・・・といったところにも後遺症の深刻さが伺えます。不幸なことよ。


さて、小説のほうはともかく。
この小説の題名になっている「クロイツェルソナタ」を聴いてみました。初聴きです。
イヴリー・ギトリスアルゲリッチの合奏です。

別府アルゲリッチ音楽祭ライヴ『奇蹟のライヴ』

別府アルゲリッチ音楽祭ライヴ『奇蹟のライヴ』


この曲は、小説の中では主人公の妻とホスト風のバイオリニストが自宅サロンで客を招いた際に合奏する曲です。
主人公はそれを表面上ニコニコしながら聴きながらも、内心では二人の関係を邪推しどす黒い嫉妬と妄想にとりつかれ、次第に常軌を逸してゆく。この曲は、人を狂わす象徴みたいに出てきます。
小説の印象としては短調のドロッとした暗い感じの曲かなぁ・・・と思っていたんですが、そうでもない。
ずいぶんたくさんの表情を持った、一筋縄ではいかないような曲です。
私は、ちょっと聴いただけでは何がなにやらよくわからなかったですよ(^^;;。何度か聴いてやっと全体像が捉えられた感じする。複雑。多彩。ちょっと怪奇。
でも、もし自分の好きな人が他の女性とこの曲を合奏していたら・・・と想像すると、ヘンな妄想が喚起されるのもわからなくはないような気がします。
たぶんそれは、この曲ではピアノとバイオリンが対等だからかもしれません。
ちょうど恋の駆け引きをしている男女のようにも感じられるのですよ。旋律が追いかけっこをしたり絡み合ったりしてイチャついているので。
しかも、ほんの少し(たぶんこれがベートーベンの作品だからかもしれませんが)ピアノの方が執着をもって追いかけてる感じがする。ちょっと粘着系っぽい感じ(爆)。
ピアノが追いかけ、バイオリンが尾っぽを振って挑発している、みたいな。追いつこうとするとまたスルッと逃げて・・・みたいな。
だから、ピアノが男でバイオリンが女だったらさらに濃いな〜と想像しました(笑)。


アルゲリッチのピアノは本当に華麗です!
やっぱりすごいなぁ。